そもそもユ・アイン(28)はアウトサイダーだった。デビュー映画『俺たちに明日はない』(2006年)での銃を買おうと個室マッサージ店で働くジョンデ役に始まり、『ワンドゥギ』(11年)、『カンチョル』(13年)までのユ・アインは、日の当たらない場所で自由に生きる役が多かった。ユ・アインは「それでも米びつより暗い所があるでしょうか」と記者に問い返した。9月16日公開の映画『思悼』(イ・ジュンイク監督)は暗闇に包まれた悲劇の物語だ。ユ・アインは思悼世子(1735-62年)になり、米びつの中に入った。そこで何を見たのだろうか。

 「何も見えませんよ。でもその反面、全てが見えましたね」

 9月9日に会ったユ・アインは「目を覆ったときにしか見えない何かがあるのでは」と話した後、次の通り言葉を続けた。「最近は若者たちも息が詰まる思いをしていて…。不確かな現実に閉じ込めてられているという思いや、旧世代との確執を表現しようと思いました。『あなたたちは世の中を今のような状況にしておきながら、次の世代に同じように生きろって強要するのか』って。思悼世子は『なぜだ?』という疑問を投げ掛け、運命と戦った人物です」

 映画で思悼世子は、的ではなく空に向かって矢を放ち「虚空に飛んでいったあの矢はどれだけ潔いことか」と言う。『思悼』で一番好きなシーンだそうだ。青春だなあと思った。どこへ行くか分からず、不安でありながらも自由な青春…。

 朝鮮第21代王・英祖(ソン・ガンホ)は次男・思悼世子を殺すとき「国事ではなく家事だ」と言う。父と息子は時に相手に矢を放ち、時に的となる。中学生のとき、歌手を志しながら「絵を描く」と言って芸術高校に進学、スターになることを夢見て上京したユ・アインと父親の間にも一悶着(ひともんちゃく)あった。ユ・アインにとって良いニュースと悪いニュースがある。良いニュースは、父が生まれて初めて試写会に来て息子の映画『思悼』を見たこと。悪いニュースは、父が何も言わずに「(大邱に)帰る」とメールを送ってきたことだ。

 ユ・アインは爪をかむ癖があった。「緊張しやすいんです。消極的で小心者で大ざっぱで恥知らずな性格が入り混じっていて」と語った。イ・ジュンイク監督はユ・アインのことを念頭に『思悼』の脚本を書いた。この若い俳優は「僕が描いてきた絵が他人に認められたようで気持ち良かったですね。僕一人でずっと芸術をやっていてもどうにもならないでしょ」と言って笑った。

 ユ・アインは役に入り込むのではなく、自分の中から引き出すと説明した。「純粋そのもののソンジェ(ドラマ『密会』)、単に悪いヤツのチョ・テオ(映画『ベテラン』)に比べると、思悼世子は引き出しやすい」と表現した。暗く不安な青春時代の真っただ中にいるところが自分自身と非常に近いという。英祖役のソン・ガンホについては「役に入り込むだけでなく、ご自身が携わっている映画全体を見詰めるものすごい視野を持つ先輩。いろいろ学び、反省しました」と語った。

 20代最後の年を迎えるユ・アインは「一時『僕の演技にはなぜこんなに不純物が多いんだろう』と嘆いていましたが、『密会』『ベテラン』を経て、ある確信を抱くようになりました」と語った。次回作はドラマ『六竜が飛ぶ』だ。「李芳遠(イ・バンウォン)=のちの太宗=役を演じるので刺激的。俳優をやっているうちに慣れが出てきたところもあるだろうし、最初のころの気持ちはあまり覚えていません。それでも、僕を真ん中にして、ものすごい数の目の中で生きているのだから、頑張っていると思います。自分のものが何で、自分のものでないものが何かも知りたい。拍手もブーイングも幸せも挫折も」

 ユ・アインという矢は今、空の高い所を飛んでいる。どこへ行くのかは分からないそうだ。『俺たちに明日はない』でジョンデが「兄貴が知っている一番遠い未来はいつ?」と聞かれたときの返事がその答えかもしれない。「明日」。ユ・アインはまだ青春の真っただ中にいる。

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