負け試合には賭けず(2004年『ビッグ・スウィンドル!』)、誰も信じず(06年『タチャ いかさま師』)、最高の選手を集めて一発狙った(12年『10人の泥棒たち』)。シリアスだとストーリーが重くなりすぎるのではと警戒する人らしく、チェ・ドンフン監督はリング上で素早く動いた。パンチ力よりもフットワークで勝負したというべきか。娯楽映画においてその戦略はいつも的中する。デビュー以来4戦4勝無敗。興行というリングで一度もダウンしたことがない。

 だからこそ、7月22日に封切られた映画『暗殺』は不安な相手だった。1930年代の独立軍の物語が軽快な娯楽になるのだろうか。その暗い時代にクールな人物を放り込み、歴史の重さに耐えられるのか。結論から言えば、チェ・ドンフン監督はこうした疑問にもひるまなかった。語り口を変えずに貫き通したのだ。日本による植民地時代、京城(ソウル)をこれほどまでに洗練された色づかいやアングル、リズムで描いた映画がまた生まれた。『暗殺』はあっさりと観客のハートをさらうだろう。

 独立運動家の金九(キム・グ)が寵愛(ちょうあい)する大韓民国臨時政府警務局隊長ヨム・ソクチン(イ・ジョンジェ)は暗殺作戦に投入するため日本に顔が知れていない選手3人を選ぶ。独立軍の狙撃手アン・オギュン(チョン・ジヒョン)、新興武官学校卒の「速射砲」(チョ・ジヌン)、爆弾専門家ファン・ドクサム(チェ・ドクムン)だ。ターゲットは朝鮮駐屯軍司令官カワグチマモルと親日派カン・イングク。ところが、情報が漏れ、誰かに依頼された殺し屋「ハワイ・ピストル」(ハ・ジョンウ)が暗殺団の後を追う。

 前作よりスケールは壮大だが試合のルールは同じだ。選手入場、目的が異なる登場人物たち、だましだまされる展開、任務完遂…。『暗殺』は観客に考えるすきを与えない。少しでもシリアスになりそうになったら、笑いで和らげて次のシーンに突入する。スピーディーでオリジナリティーあふれる展開だ。

 韓国映画では珍しく女優がワントップだ。スッピンの暗殺団隊長アン・オギュン役を演じたチョン・ジヒョンは痛快なアクションと射撃の腕、「出生の秘密」と心の内を見事に表現した演技で大きな流れをリードしている。別の生き方にあこがれを抱く彼女の心が一瞬揺らぐ時、観客も一緒に夢を見る。韓国映画は、ウエディングドレスを着たまま引き金を引き、太ももに弾倉を隠し持つ女戦士というキャラクターを手に入れた。

 この映画の登場人物たちは「噛(か)みつけないなら吠(ほ)えもするな」というサバイバル論理と、「まだ戦っているということ知らしめなければならない」という闘争論理のはざまで生きていく。祖国と共に「所属」を失い、生き残るため本音を隠さなければならない世界で、ヨム・ソクチンと「ハワイ・ピストル」も興味深い変化を遂げる。ある意味、2人は一卵性双生児のようだ。金九が臨時政府立法府・司法部・行政部を紹介するシーンはその規模が小さすぎて笑いが込み上げてくる。全員が1つの部屋に集まっているのだが、行政部はちょうど食事中だ。

 うまくまとまっている商業映画だ。139分間のストーリーが重力のように観客を引き寄せる。中国・上海で撮影されたというオープニングの霧が立ちこめるメタセコイアの道からして、180億ウォン(約20億円)という制作費がものを言う。三越百貨店の再現をはじめ、美術にはかなり力を入れている。

 このドラマの出口戦略はややお決まり通りだ。下水道脱出、追悼とろうそくなどにはミュージカル『レ・ミゼラブル』の影響が見え隠れする。メッセージもオ・ダルス演じる男が言う「3000ドル、忘れたらだめだ」くらい弱い。しかし、意欲ばかり先走りして動きの鈍い独立軍の話にうんざりしている観客なら、この映画の軽快なフットワークにかえって引き付けられるかもしれない。洗濯ひもに掛けられた白い敷布が「大韓独立万歳!」とでも叫んでいるかのように風に揺れるシーンは残像が長い。15歳観覧可。

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