上り坂があれば下り坂がある。女優ソン・ヘギョは最近、道の理は人生と似ていると感じている。

 ソン・ヘギョは2010年、中国のウォン・カーウァイ監督と映画『グランド・マスター』でタッグを組み、演技の醍醐味を味わった。翌年、ドラマ『その冬、風が吹く』(SBS)で久しぶりに訪れた韓国の撮影現場では、演技の喜悦を感じた。「これが演じる幸せなんだ」と思っていたとき、公人として重い責任を負わなければならない問題(脱税騒動)が起きた。すでに解決していた問題だった。しかし、世間の一部は失望した。「自粛」という言葉でしばらく世間から身を隠すこともできたが、現実はソン・ヘギョをそうはさせなかった。映画『ドキドキ私の人生』(9月3日公開)の主演として、作品への責任感も重かった。ソン・ヘギョは8月26日、ソウル市鍾路区三清洞のカフェでインタビューに応じ、当時を振り返った。

 「すでに片付いたこととはいえ、私の過ちだった。意図的にしたことではないというのは本心。演技をしながら感じる幸せ、友人や家族と過ごす時間、どれも大切なのに、その全てを失うほどの過ちを犯すことなど考えたこともない。また愛される女優、キャラクターとして認められ、共感を与えることができる女優になれるよう努力していきたい」

 その機会は思ったより早く来た。映画『ドキドキ私の人生』だ。ソン・ヘギョは早老症という、若くして老いが急速に進む難病に苦しむ16歳の息子ハン・アルム(チョ・ソンモク)をもった34歳の母親ミラ役を演じた。同名のベストセラー小説が原作の映画で、ソン・ヘギョならではのミラを作り上げるのが負担となったが、イ・ジェヨン監督に頼り切り、答えを見つけた。

 「小説を好きなファンが多く、どのように演じるべきか、頭の中が複雑だった。小説のミラも引き出したかったし、監督が描こうとするミラも表現したいと思った。でも、どちらも追求すると中途半端になりそうだったので、監督が表現したシナリオはもちろん、監督が選んだ服、ヘアスタイルで演じた。私が選んだら、女優としてキレイに見えるポイントを見つけたかもしれないが、ミラはそのような人物ではなかったので、監督を信じ、付いていってよかったと思う」

 ソン・ヘギョは映画のキャラクターと現実を同じ目線で理解し、演技に集中した。ソン・ヘギョは幼少時代、ハン・アルムのように愛嬌はなかったが、責任感の強い子どもだったし、ソン・ヘギョの母親はミラのように、近所の大人たちが振り回されるほどいたずら好きで、純粋な田舎の女性だった。

 「本当に切ない母性愛にあふれる犠牲的な母親を演じていたら、かなり難しかったと思う。うちの母親と似たキャラクター、普通の母親のような役だったので、一生懸命演じることができた。『ドキドキ私の人生』のように、まだやったことのない役、挑戦していない演技はまだまだ多い。サスペンスもやりたいし、悪役にも惹かれる。でも多くの場合、ヒットした作品のキャラクターに似たような役をオファーされる。なので、私自身もそのようなイメージを壊そうと、自主制作映画を検討したりした」

 『ドキドキ私の人生』をきっかけに、痛みを味わい成熟したソン・ヘギョは、演技に脂が乗ってきたようだ。1996年にCMでデビューし、すでに20年近く芸能生活をしているが、30代になった今、ようやく何かが変わってきたという感じがする。また演じていない役、挑戦していないテリトリーが多いということが分かった。

 「以前は私をサポートしてくれる方が多かったので、演技に対し大きな責任を感じることはなかった。でも、難しいシーンの前はかなりストレスを受けた。『グランド・マスター』のとき、監督から『今まで見てきたソン・ヘギョの姿は全てアウト』と言われた。振り返ってみると、あのとき本当に大変だった分、勉強になったと思う。撮影が終わっても共演者の演技をモニタリングし、監督と話し合う。難しい演技があると、どうにかして演じ切りたいという意欲がわく。演技が楽しくなってきた」

 「今後、どんな作品でもキャラクターそのものを受け入れられる女優になりたいし、そのように見てほしい」というソン・ヘギョの願いは、これまでになく切実そうだ。ソン・ヘギョはミラになるため努力した。見事な原作はスクリーンでも力を発揮した。ソン・ヘギョの言葉通り、過ちを覆い隠すことはできないが、その過ちにいつまでも捉われるわけにはいかない。それは当事者も世間も同じだ。『ドキドキ私の人生』がソン・ヘギョにとって演技の幅を広げるきっかけになったように、ソン・ヘギョに失望した世間やファンも、ソン・ヘギョを再び女優として見詰め、感情移入できる作品となるだろう。

◆ソン・ヘギョ、グラビアギャラリー

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