1937年から95年まで、水原と仁川を結ぶ「水仁線」には「ミニ列車」と呼ばれる狭軌列車(レール幅の狭い線路を走る列車)が走っていた。仁川の塩を日本に運ぶために作られたこの列車は、塩辛売りの女性や天日塩を採取する労働者など、日常を必死で生きる人々を乗せて狭い線路を走っていた追憶の列車だ。

 市民の足となって毎日走り続けた狭軌列車が姿を消して、すでに17年。思い出となったミニ列車が、水仁線の電化に伴い再び帰ってきた。人間味あふれる当時の思い出をたどろうと、仁川の水産市場がある「蘇莱浦口」行きの水仁線に乗り込んだ。

■かつて列車で行けなかった仁川、いまでは水仁線で1時間

 先月22日のことだ。朝食を軽く済ませ、カメラと手帳を手に自宅近くのソウルメトロ4号線山本駅に向かった。これまで地下鉄で仁川に行ったのは数えるほどしかない。4号線から1号線に乗り換え、ソウルを経由して再び仁川行きの列車に乗らなければならず、非常に面倒だったからだ。

 だが今は状況が変わった。開通した水仁線・松島-烏耳島の区間を利用すれば、4号線を使っても容易に仁川まで行ける。水仁線に乗り換えて1時間、蘇莱浦口駅に到着するとのアナウンスが流れてきた。烏耳島駅から蘇莱浦口駅までは10分もかからなかった。

 このように、水仁線の新区間開通は、思い出をたどるよりに先に「便利さ」を感じさせてくれた。

■「仁川港25ウォン、水原50ウォン」 かつての運賃が分かる蘇莱歴史館

 蘇莱浦口駅で下車したら、いよいよ時間旅行に繰り出そう。蘇莱浦口駅を出て港の方へと歩いていくと「蘇莱歴史館」が見えてくる。昨年6月に開館したこの歴史館は地下1階、地上2階建てで、蘇莱浦口の近くにある。

 展示室には、狭軌列車が停車していた昔の蘇莱駅の待合室が、かつての様子そのままに再現されている。待合室の片隅には、仁川港25ウォン(現在のレートで約2円、以下同じ)、水原50ウォン(約4円)と書かれた昔の運賃表が掲げられている。現在の水仁線の料金と比べれば、驚くほど安い。

 このほかにも、歴史館には蘇莱干潟や蘇莱塩田に関する展示室があるが、中でも昔の狭軌列車や蘇莱魚市場を再現した「蘇莱浦口ゾーン」は写真撮影スポットとして人気がある。

■人間味あふれる蘇莱魚市場

 蘇莱歴史館を出て左に50メートルほど行くと、本格的な魚市場が見えてくる。どちらへ行ったらいいか分からなければ、前の人について行けばよい。大半が魚市場を訪れる人たちだからだ。

 「そこのお兄さん、安くするから見るだけ見ていって」

 月日は流れても魚市場だけは相変わらずだ。魚市場の前には「客引きのない場所」と書かれているものの、そんなことはお構いなしに、商売人たちは皆同じように愛想よく声を掛け、行き交う客を引き留める。人波にもまれながらにぎやかな魚市場を歩いていると「人が生きるとはこういうことなんだなあ」と思えてくる。

■変わらない港、変化した蘇莱鉄橋

 魚市場の隣には、歳月の流れをはっきり感じさせてくれる場所がある。蘇莱鉄橋だ。蘇莱と月串を結ぶ蘇莱鉄橋は、かつては狭軌列車が走っていたが、現在では人々の通行用に利用されている。ここはかつての水仁線の枕木や線路が比較的きれいに残っており、昔の狭軌鉄道の面影を感じることができる。

 蘇莱鉄橋の横には新蘇莱鉄橋が勇壮にそびえており、対照的な姿を見せている。蘇莱鉄橋を歩く人々と、その横を速いスピードで通りすぎる水仁線の電車、そしてそれを知っているのか知らないのか、橋の下には海水が悠然と流れている。

 狭軌鉄道が姿を消して17年、その横を電車が行き交うようになり、風景も様変わりしたが、蘇莱浦口は今なお海の香りと人情の感じられる場所だった。空が赤く染まるころ、仁川の海は、狭軌列車で水原と仁川を行き来していた人々の思い出のように輝いていた。

ホーム TOP