K-POP
PSY「江南スタイル」、作曲したのは元アイドル
動画共有サイト「ユーチューブ」でプロモーションビデオ(PV)の再生回数が1億6000万回を突破したほか、米国ビルボードのメーンチャート「ホット100」で韓国人歌手としては歴代最高位 の64位に入ったPSY(サイ)の「江南スタイル」。コミカルな「馬ダンス」やPVとともにヒットの要因といわれているのが、ノリのいいリズムとサウンドが印象的な作曲・編曲だ。この曲をPSYと共に作曲したのは、作曲家で音楽プロデューサーのユ・ゴンヒョン(33)だ。
ユ・ゴンヒョンは二つの点で話題になっている。一つ目は1990年代の人気アイドル「Untitle」に所属していたという経歴だが、さらに注目されているのは、なかなか公の場に姿を現さない「幻の天才作曲家」ということだ。13日未明に本紙の電話インタビューに応えたユ・ゴンヒョンの第一声は、多少疲れがあったものの「ステージの前で自分が見せるのではなく、後ろの見えない所でサポートする、それが僕のスタイル」と明るくパワフルだった。
2006年にリリースされたPSYの4thアルバムから作曲家・プロデューサーとしてPSYの音楽面でのパートナーを務めてきたユ・ゴンヒョン。PSYの「芸能人」、godの「哀愁」、IVYの「タッチ・ミー」、DJ DOCの「オレはこういうヤツさ」など、人気歌手たちのリード曲を作曲・編曲してヒットさせ、業界では「浮き沈みが激しい90年代アイドルグループの中で音楽的に成功したまれなケース」と称賛する声もある。
だが、当の本人は「拍手喝采(かっさい)を浴びるべき人はほかにいる。自分にスポットライトが当たるのはとても負担だ」と話し、受け取ったボールをPSYに返した。
「PSY兄貴とは言葉がいらないほど気心が知れた間柄。仕事の方向性について真剣に話し合うというよりも、一緒にメシを食べながら『一度こんなのをやってみようか』とアイデアを出し合う感じ。2人で額を突き合わせて作ったメロディーに歌詞を付けて、その後にダンスができた。これまでと同じように仕事をしただけなのに、以前とは全く違う反響にかえって戸惑っている」
作・編曲者が考える「江南スタイル」ヒットの理由を問うと、ユ・ゴンヒョンは「とにかく『馬ダンス』とPVが一番の功労者。そこに、音楽のトレンドに沿っていこうという工夫が利いたのでしょう。『若い音楽を作らなければならない。トレンドを逃したら絶対ダメ』というのが僕の信条。『世界に出しても引けを取らないサウンドを作り出そう。それが自分のやるべきこと』という思いを常に抱えてきた。初心を忘れないでいたからこそ、これまで着実に道を歩んでこられた」と語った。
90年代を代表するアイドルグループH.O.T、Sechs Kiesより前、96年8月にデビューした高校生アイドルデュオ「Untitle」(ユ・ゴンヒョン&ソ・ジョンファン)は、鮮明なメロディーと簡潔なラップが印象的な1stアルバム「責任取って」、2ndアルバム「翼」を相次いでヒットさせた。ほぼ全曲で作詞・作曲を手掛けたユ・ゴンヒョンは、ヒップホップデュオ「DEUX」のイ・ヒョンドと比べられ、実力派高校生シンガーソングライターとして注目された。しかし、3rd以降は振るわず、「Untitle」は99年に解散した。その後、本格的に作曲・編曲家の道を歩むことになり、当時のトップアイドルgodやRAIN(ピ)のアルバムに参加、実力を認められて06年からPSY専属の作曲家・プロデューサーになった。
音楽専門家はユ・ゴンヒョンについて「韓国の一般の人々が受け入れやすいようにヒップホップをアレンジするという点で、素晴らしい才能を持っている」と評価する。ポップミュージック評論家のカン・イルグォン氏は「インパクトのあるヒップホップとR&Bのリズムに、メロディーと軽快なダンスの要素を加味した『ニュー・ジャック・スウィング』は韓国でも人気があるジャンルだが、ユ・ゴンヒョンはUntitleのころからそのジャンルで独自の創作能力を発揮してきた」と話した。
しかし、ユ・ゴンヒョン自身は「今でもUntitle時代のことをよく言われるが、元アイドルとしてクローズアップされるのは嫌だし、しっくり来ない。作曲家・プロデューサーとして見てほしい」と語った。2000年以降はステージやメディアにはほとんど登場していない。写真も昨年末、韓国音楽著作権大賞でヒップホップ作曲部門の受賞者に選ばれ、授賞式に姿を見せた時のものが最新だ。「作曲家・プロデューサーは音楽的に評価されるものであって、人が評価されるものではない。あえて顔を見せる必要があるのか」と聞き返すユ・ゴンヒョン。「今はとても楽しい。ステージの上ではなく、ステージ裏でもさまざまな音楽的なチャレンジができるし、それを成し遂げられることを楽しんでいる。