映画
【社説】キム監督、「劣等感の怪物」から世界の巨匠へ
第69回ベネチア国際映画祭でコンペティション部門最高賞の金獅子賞を受賞したキム・ギドク監督は、映画を専門的に学んだ経験がない。家が貧しく、中学校を卒業して15歳で清渓川や九老工業団地(現・九老デジタル団地)の工場で働き始めた。海兵隊を除隊後、フランスへ渡り、肖像画を描きながら暮らしていたが、32歳のときに『ポンヌフの恋人』を見て映画にはまった。韓国に戻ってから脚本を書き始め、映画界に足を踏み入れたキム監督は、1996年に『鰐~ワニ~』で監督デビューを果たした。
キム監督は自らを「劣等感を食って育った怪物」と表現する。同氏の作品は暗く、残酷だ。行き場のないどん底にいる人々の心理を荒々しく、アブノーマルに描き、観客を憂鬱(ゆううつ)な気分にさせる。そうした作品は韓国で常に物議を醸し、評価や興行成績も芳しくなかった。そんな「キム・ギドク映画」の魅力と魔力に最初に注目したのは、国際映画祭だった。1998年に『悪い女-青い門-』がベルリン国際映画祭でパノラマ部門のオープニング作品として上映されて以来、キム監督の作品はカンヌ、ベネチア、ベルリンの3大国際映画祭にたびたび招待された。
2004年には『サマリア』でベルリン国際映画祭の銀熊賞(監督賞)を受賞し、『うつせみ』でベネチア国際映画祭の銀獅子賞(監督賞)を受賞。そして今回、『ピエタ』でベネチア映画祭の最高賞を獲得した。3大国際映画祭で韓国映画が最高賞を受賞したのは初めてとなる。時代の流れに逆らい、冷遇されながらも、かたくなに自らの作品世界を掘り下げてきた20年間の映画人生が、ついに花開いたのだ。
キム監督は、韓国では今も非主流だ。映画界では最近、若い観客の好む作品を作る若手監督ばかりに投資が集中し、監督が40歳を超えると演出依頼が激減するという。キム監督も、少ない制作費でようやく作品を作り上げたにもかかわらず、公開する映画館を見つけられずに苦労したことがある。『ピエタ』は過去の作品に比べ残酷な要素が減り、より面白くなったと評価される。ベネチア映画祭でも「面白い」という反応が一番多かったという。同氏の作品世界がより成熟し、柔軟になっているということだ。
韓国の大衆文化が「韓流」という名で国際的な文化コンテンツとなったが、深みや独創性はまだ十分とはいえない。芸術の深みや独創性は生態系サイクルと同じく、芸術界の主流と非主流が入れ替わる中で熟成される。キム監督のベネチアでの快挙が韓国映画界の循環を促進し、韓国映画が世界の中で新たな「春」を迎える契機となるよう期待したい。