低い山の稜線の上に広がる古墳の数々。誰の墓なのかも分からない、大小200カ所余りの古墳が屏風のように立ち並ぶこの古墳群は、慶尚北道高霊郡にある。

 通常なら、古墳は広々とした平地に横たわっているものだが、高霊の古墳は山の稜線に造られている。これは、三国時代のもう一つの巨大な勢力「伽耶」ならではの独特の文化だ。

 歴史的な資料がないためか、伽耶は一般の人々にはあまりなじみがない。だが、高霊の至る所に古墳が実在する上、土器や鉄器なども出土しているため、この地を訪れれば伽耶について学ぶことができる。

 伽耶文化の探訪のスタート地点は「大伽耶博物館」だ。古墳が広がる主山の裾野に位置するこの博物館では、大伽耶国の1500年の歴史について学ぶことができる。

 この博物館は、主に常設展示室と企画展示室に分かれている。まず、常設展示室には、旧石器時代から近代に至るまでの大伽耶と高霊地域の歴史・文化に関する展示物が並び、説明文や出土品を見ることができる。

 ここで最も目を引くのは、三国時代の国ごとの文化的特徴について展示したスペースだ。国ごとに、当時使われていた土器や装身具などが展示され、文化的な違いを見比べることができる。

 一般的に高句麗はたくましく情熱的な文化、百済は優雅で美しい文化、新羅は質素だが調和美にあふれる文化、という特徴がある。これに対し、伽耶は、洗練された芸術性と実用性を兼ね備えた文化といえる。

 展示室に並んだ伽耶の土器は、柔らかく安定した曲線美があり、装身具は精密な施工技術による華やかさが感じられる。よろいやかぶとは、丈夫で実用的という特徴がある。学界の一部では、伽耶の文化が新羅に継承され、現代に受け継がれたという説もある。

 常設展示館の見学を終え、企画展示室に移動した。ここでは年間1-2回ほど、さまざまなテーマによる企画展が開催されている。現在は高霊の土器と磁器窯に関する展示が行われている。

 伽耶の土器は、韓国の古代土器文化の中で最も優秀なことで知られる。これは日本列島で出土した伽耶土器を見ても分かる。展示では伽耶土器の生産過程について、詳しく説明している。

 このほか、子ども向けの体験学習室では、大伽耶の土器に関するパズルや拓本、印刷、民俗品などが用意され、子どもたちはさまざまな伝統文化を一度に体験することができる。

 博物館を出て、左側にある「大伽耶王陵展示館」を訪れた。この展示館では、韓国で初めて確認された大規模な殉葬墓「池山洞第44号墳」の内部を、本来の姿のまま見学することができる。

 殉葬とは、王や部族長など権力者が死去した際、仕えていた人間を一緒に埋葬する葬礼の形だ。見学者は実物大に復元された古墳の中で、墓の構造や縮小方式、殉葬者が埋葬される様子、副葬品の種類や特徴などを間近で確認することができる。

 展示館での見学で物足りなければ、裏側にある散策路から主山に登ると、古墳の全体像を見渡すことができる。低い山の稜線に沿って10分ほど登れば、でこぼこと立ち並ぶ「池山里古墳群」が見えてくる。

 下から上に登るにつれ、古墳の規模が徐々に大きくなっていくのが分かる。大きさによって当時の王の権力を表しているのだ。

 山の頂上に近づくと、古墳はさらに巨大になる。大伽耶の全盛期を間接的に表現しているかのようだ。頂上から眼下を見下ろすと、屏風のように広がる山々に囲まれた高霊の風景を一望できる。でこぼこと飛び出した古墳の数々と、曲がりくねった未舗装の道が、自然の美しさを醸し出している。

 さらに、頂上から別の方向に目を向けると、巨大な施設が目に飛び込んでくる。これは「大伽耶歴史テーマ観光地」で、大伽耶の歴史・文化をテーマに、過去・現在・未来の高霊の様子が展示されている。

 このテーマ観光地は博物館とは異なり、屋外で伽耶の文化を体験することができる。入り口を入るとまず古代家屋の村があり、当時の伽耶人の衣食住を垣間見ることができる。向かい側にある遺物体験館では、当時優秀な製錬技術を持っていた伽耶が、日本、中国などと交流していた事実が確認できる。

 古代家屋の村を通り過ぎると、土器と鉄器の部屋があり、伽耶の土器や鉄器を実際に製作することができる。また、森の中では大伽耶に関するクイズにチャレンジすることもできる。周辺には、鍛冶屋の火の音が聞こえる窯跡や、臨終体験館、盆栽展示室、3D(立体)形状館などもあり、さまざまな体験プログラムが用意されている。

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