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馬山ルネサンスで韓国初の都心再生目指す /昌原
「全国7大都市」と呼ばれた名声も今は昔、衰退の道を歩んできた昌原市の馬山地域(旧・馬山市)。最近、その旧市街地に造成された「倉洞芸術村」は、馬山に新たな活気を吹き込むことができるのだろうか。
馬山地域は1971年に輸出自由地域に指定された。その後、陽徳洞で韓一合繊が本格的に稼働を開始したのを機に、労働者5万人を抱える慶尚南道第1の都市となり、全国7大都市の一つに数えられるようになった。
「倉洞芸術村」のムン・ジャンチョル村長は「あのころは、ソウルの明洞と同じくらいにぎわっていた。出勤・退勤時間になると、輸出自由地域やその近くにある韓一合繊の工場周辺の通りには、数千、いや数万人が繰り出していた」と当時を振り返った。
だが、83年に昌原に慶尚南道庁が移転したのを機に、馬山にあった慶尚南道の公共機関が徐々に昌原に移っていった。その後、馬山を拠点としていた各企業の工場も、地価の上昇や人件費の問題、産業構造改善の失敗などの理由で別の都市に移転し、90年代に入ると都心の空洞化現象が深刻になった。人口も年々減少傾向をたどり、89年に50万5466人だったのが、今年は41万4602人にまで減っている。
こうした状況を受けて昌原市は、衰退した馬山・倉洞・午東銅一帯の商圏の活性化を目指し「馬山の旧市街地再生マスタープラン」を樹立、地域内の空き店舗を利用して「倉洞芸術村」を造成した。
昌原市は昨年3月から、23億ウォン(約1億5600万円)の事業費を投じ、倉洞学問堂の裏通りと、向かい側にある市民劇場の周辺の路地を事業区域に指定し、空き家だった50店舗を2年間賃借した。これにより裏通りの230メートル区間にある空き店舗を、芸術家50人が2年間無料で使用できるようになった。
また、芸術村の美観のために、電線の地中化や道路の再舗装、芸術村の建物の全面改装を実施したほか、照明設備を備え屋外展示スペースに休憩室を設置するなど、芸術村の雰囲気づくりに必要な施設を改善した。
このように、人為的に芸術村を造成し、人を集めて商圏を活性化させる都市再生事業は、韓国では昌原市が初めて用いた手法だが、中国や日本にはすでに同様の事例がある。
中国・北京の大山子はもともと、軍需産業の拠点として栄えていたが、1980年代末の東西冷戦終息を機に7割以上の工場が移転。その後、貧しい画家たちが廃工場を作業室に改修し「798芸術特区」が形成され始めた。
その後、大山子は米誌タイム、ニューズウィーク、フォーチュンなどで「世界で最も文化的な象徴性と発展の可能性のある芸術都市」に選ばれ、中国の6大観光特区の一つに指定された。「798芸術特区」は、09年だけで観光客150万人を突破し、名実共に芸術・産業・旅行の中心地となった。
一方、東京のベッドタウンだった茨城県取手市は1999年から「アートプロジェクト」に乗り出し、住宅団地内にある空き店舗を借りて「井野アーティストビレッジ」をオープン(2007年)させた。その後、日本全国の芸術家たちがこのビレッジに集まり始め、プロジェクト開始から10年以上が過ぎた現在、取手市は年間20万人が訪れる観光都市として栄えている。
昌原市都市再生課のユ・ギョンジョン主務官は「芸術村造成事業は、衰退した馬山の旧市街地に文化・芸術の新たな価値を付与する事業。その価値に引き寄せられて人々が集まり、商圏が活性化することで、最終的に都市の再生を実現する、というのが市の最終的な目標」と語った。
昌原市は今年5月に芸術村のオープン記念イベントを行い、6月24日まで「馬山ルネサンス展」をはじめ、さまざまな芸術祭プログラムを実施中だ。また、市民たちが気軽に芸術村を訪れることができるよう、毎週末にはさまざまな文化芸術イベントを開催する予定だ。
一方、(2010年に馬山市・鎮海市を吸収合併した)昌原市は未来発展に関する新たなビジョンとして、地域の特性を生かした均衡発展3大プロジェクトを展開している。具体的には昌原スマート、馬山ルネサンス、鎮海ブルーオーシャンの各事業を推進し、これに関連して馬山一帯で馬山湾ウォーターフロント造成事業や旧市街地再生事業、群山海洋観光団地の造成などが進められている。