スターインタビュー
「おれたちはローリング・ストーンズと同格」
「ロックの兄貴たち」が帰ってきた。デビューから26年にして全盛期を迎えているハードロック系メタルバンド「白頭山」のことだ。最近メンバーたちがテレビのバラエティー番組に相次いで出演、思いのほかコミカルなトークで40‐50代だけでなく10‐20代の若者層でも話題を呼んでいる。10月6日と7日にはデビュー以来、初めて1000席の大型会場(ソウル市広津区のAXホール)でコンサートを開く。
このほど、ソウル・光化門でインタビューに応じたメンバーたちは「トーク番組やCM撮影などのオファーがすごい。白頭山もやっと稼げるようになったようだ」と得意げだった。
-最近、突然注目を浴びるようになった。
キム・ドギュン(以下、キム)「自然な流れだ。1980年代におれたちのファンだった当時の中高生が今、テレビをよく見る世代になったからさ」
ユ・ヒョンサン(以下、ユ)「そのおかげか、この間空港で会った小さな子どもが『白頭山だ!』と言いながら駆け寄ってきた。一緒に写真を撮ってサインもした。ありがたいと思って『アルバムを送るから』と住所を書いたメモを受け取ったのだが、なくしてしまったよ」
-1987年にキム・ドギュンがイギリスに行き、バンドは解散した。「大麻吸引説」「メンバーの確執説」などのうわさが飛び交った。
キム「大麻を吸っていないのに、『吸った』と疑われ取り調べを受けた。つらかったよ。当時、韓国ではロックをやる土壌ができていなかった。おれたちは(ロックに)目覚めるのが早すぎたようだ。世界という舞台に進出したいとの気持ちもあったが、思い通りにはいかなかった」
-3年前に再結成したのはなぜ?
キム「責任感が大きかった。アメリカのロックバンド『KISS』のコンサートに行くと、30年以上もファンを続けている人たちが自分の子どもを連れて一緒に楽しんでいる。『白頭山』の長年のファンと共感しあいながら、新世代にもロックのスピリットを伝えていかなければと思い、再結成した」
ユ「韓国に正統派のロックバンドがなかった。後輩たちを見ると、ロックの基本が足りないと思う。おれたちはローリング・ストーンズやアイアン・メイデンなど、世界的に有名なバンドと十分に肩を並べられるほどの音楽をやっていると確信している」
-後輩たちは「音楽の基本」が足りないというのはどういう意味?
ユ「ロックは1960‐70年代に完成された。だが、ロックのテイストを生かしているヤツはいない。ポップスの要素の方が強いね。10代の若者の間には、消えつつあるロックの火種をよみがえらせようという動きもある。正統派でも10代の若い人たちにとっては新しいものなんだ」
キム「練習量が足りない。音楽は努力して獲得したテクニックであるほど輝く。おれは食べる時間と移動する時間以外は常にギターを握っていた。弦をいじりすぎてつめが割れ、いつも血が出ていた」
-再結成後に新メンバー(ドラマーのパク・チャン、ベーシストのキョン・ホジン)が加わった。何かが変わった?
キム「最近のトレンドは無視できなかった。兄貴(ユ・ヒョンサン)とは20歳くらい違うチャンやホジンは、最近の若い人たちが好むサウンドを知っているだけでなく、本格的なロックを体現できる実力も持っている」
ユ「チャンのドラムはストレートだ。テクニックばかりに走ることなく、パワフルなドラムを聴かせてくれる」
-一緒にバンドをやってみてどう?
パク・チャン「2008年のコンサートの打ち上げで、ソウル・弘益大学前の焼き肉店でファンとして兄貴たちに会い、その後メンバーとして活動することになった。自分が何となくドラムをたたいている時も、兄貴たちはタカのような目で問題点を見つけ出す」
キョン・ホジン「93年にドギュン兄貴が一人で白頭山の3rdアルバムをレコーディングした時に参加したのが縁になった。漢江でトレーニングをしていたら、ドギュン兄貴から電話をもらい、また一緒にやることになった。義理といえば『白頭山』さ」
-白頭山の歌の歌詞はほとんどが英語だが。
ユ「海外進出が念頭にあるので英語で歌詞を書いている。デビュー当初は(米軍基地に近く、米兵が多い街だった)ソウル・梨泰院で覚えた英語をもとに歌詞を書き、再結成後に制作した4thアルバムからはアメリカの大学に通う息子たちに手伝ってもらった。87年に出した2ndアルバムは海外の評論家にも評判が良かった。もし、解散せずに活動を続けていたら、今ごろは世界でトップのバンドになっていたかもね」
キム「この前、日本の音楽専門コラムニストが『今の日本のロックバンドやヘビーメタルバンドは白頭山を見習え』と書いたそうだ。世界に進出し『白頭山』の名を知らしめたいと思っていたおれたちの気持ちは変わらない。『白頭山』は今も夢を見ているんだ」