国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記録遺産に登録された「朝鮮王朝実録」(国宝第151号)は、李氏朝鮮の太祖から25代哲宗まで472年間(1392-1986)の歴史を記録したもので、当時の社会・経済・文化・政治などが記載されている。

 この書物は多くの逆境を乗り越え、後代へと伝えられた。もしこの書物が存在しなければ、『トンイ』『 宮廷女官チャングムの誓い』などの大ヒットドラマは誕生していなかったかもしれない。


 「朝鮮王朝実録」は、王室に特別に設置された書庫にそれぞれ1部ずつ保管されていたが、 壬辰倭乱(文禄・慶長の役)や丙子胡乱(清による朝鮮侵攻)を経て、その多くが消失した。しかし、仁川市江華郡の伝燈寺に保管されていたものは唯一、1181巻すべて残っている。

 ここは、現存する韓国の寺の中で最も歴史が長い。小獣林王11年(高句麗時代)の西暦381年、阿道和尚が創建したといわれている。これまでの長い歴史を物語るかのように、境内のあちこちには古木が残っている。

 木々の間から注ぎ込む日の光や風に揺れる木々のざわめきを聞きながら、伝燈寺・鼎足山の書庫へと向かった。

 入り口から見ると、出入りの境界を挟んで塀があり、瓦ぶきの建物が2棟ある。瓦の屋根は緩やかで美しい稜線を描いている。


 この書庫に保管されていた実録は、1592年の壬辰倭乱の後に移された。その後、 丙子胡乱や丙寅洋擾 (朝鮮王朝のキリスト教弾圧にフランス軍が報復した事件)など、幾つかの紛争が起こる中、この寺の僧侶が実録をはじめとする書物を洞穴に隠し、最後まで守り抜いた。

 鼎足山の書庫で会った僧侶は、「多くの人たちが伝燈寺を訪れたが、最近は中学生や高校生がバスに乗ってやって来る。彼らは韓国の激動の歴史を経て、貴重な記録を守り抜いてきた先祖たちの護国精神を感じ、歴史の大切さを学んでいく」と語った。

 次に、宝物第178号に指定されている大雄殿へと向かった。この建築物は、朝鮮中期の建築様式や裸婦像の伝説で有名だ。


 裸婦像は大雄殿の4本のの柱の上で、まるで罰を受けているかのように屋根を支えている彫刻像。当時、大雄殿の修理をしていた大工が、自分の元を去って行った恋人に対する恨みを、裸婦像として制作したという伝説がある。

 大工が元恋人に対し、大雄殿で一生仏の言葉を聞きながら、自分の過ちを償い、正しく生きるようにとの思いを込めて、仏教的な愛と念願を表現したといわれている。

 それ以外にも、この書庫には薬師殿(宝物179号)や梵鐘(宝物393号)、国家史跡の三郎城、大雄殿の木造三尊仏坐像、大雄殿の須彌壇、各種の幀画、青銅水槽、梁憲洙将軍勝戦碑など、国宝級の遺物が多く保存されている。


 10年前、妻とこの地を訪れたというパク・パンユンさん(33)は、「最初の感動を大切にしたいと思い、バスを利用しました。シティツアーに参加したのですが、とても便利でした。ここはほかの寺とは違い、土を踏みながら歩くこともでき、それぞれの遺物にまつわる伝説があるのも面白い。当時、恋人だった彼女を、今回は妻として連れてくることができ、とても感慨深いです」と話した。

 パクさんが参加した仁川シティツアー江華観光コースは、毎週土曜日と日曜日、それぞれ1日2回(午前10時-午後6時)運行している。

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