芸術家たちの手はまるで、ギリシア神話に登場するミダス(触ったものすべてを黄金に変える能力があるとされる)の手のようだ。筆であれ、ペンであれ、釘であれ、金槌であれ、彼らが手にすることで、世界に一つしかない作品を生み出す。ソウル市永登浦区にある文来洞はもともと、繊維産業や鉄鋼業で知られていたが、現在は「文来洞芸術村」として有名だ。しかし、この街にはこれといったシンボルがあるわけではない。ただ、随所で休憩を取りながら、そぞろ歩きを楽しめば、まるで画廊にいるかのような感覚を味わえることだろう。
 そのためだからだろうか。歩みを進めるたび、目に飛び込んでくる絵画やモニュメントは、見ているだけで楽しく、興味が湧いてくる。かすかに音楽が聞こえ、そして同時に一つの疑問も湧いてくる。こんな荒っぽく廃れた街に、どうして芸術家たちはやってきたのだろうか。どうしてここで創作活動をしようと思い立ったのか。その理由はまさに、家賃の安さだった。貧乏な芸術家たちにとって、文来洞は町工場の騒音に耐えながらでも、住まざるを得ない魅力的な場所だった。
 実際、真っ昼間に文来洞芸術村を訪れるのは避けた方がよいだろう。あちこちから聞こえる轟音や金属音は、とても我慢できるものではなく、この街の芸術家たちもほとんど外出してしまうからだ。夕日がゆっくりと沈んでいく午後7時ごろ、あるいは夕食を取った後に、ちょっと町内を散歩するような感じで訪れるのがおすすめだ。夏の間であれば、街中は長い間明るく照らされる。好奇心の赴くまま、建物の2階にある芸術家たちのアトリエをめぐるのもまた、忘れられない旅の思い出になることだろう。


 ところで、文来洞という地名の由来については、二つの説がある。一つは、高麗時代に中国から綿花を伝えた文益漸(ムン・イクチョム1329~98)が、この地で初めて綿花を栽培したという説、そしてもう一つは、糸を紡ぐのに使った「ムルレ(糸車)」に由来するという説だ。だが、いずれにせよ、1940年代後半から紡績工場が集まり、繊維産業の一大拠点となったことは、明らかな事実だ。その後、鉄鋼製品を作る町工場が立地することで、街の様子は一変し、さらに2010年には「芸術村」として生まれ変わることとなった。

*アクセス: 地下鉄2号線文来駅下車、7番出口から150メートルほど直進し、刺し身店の前を左折。

文_ キム・スン 写真_ チョン・イクファン

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