ヘンリー(『私の名前はキム・サムスン』)、フィリップ(『春のワルツ』)として人気の俳優ダニエル・へニーが30日、東京・渋谷C.C. Lemonホールで「Daniel Henney Japan Fanmeeting in Tokyo」を開催した。

 ダニエルは韓国系の母親をもち、2001年に米国でモデルデビュー。フランス、イタリア、香港、日本などでモデルとして活動した後、2005年にドラマ『私の名前はキム・サムスン』で鮮烈なドラマデビューを果たした。

 ファンミーティングでは、そんな過去や近況について、率直にファンに語りかけた。

 「最近まで、米国で家族と過ごした。家族でハワイに行った。初めてサーフィンをしたり、イルカとキスしたり。しかし、実は自分は写真集の撮影の仕事をしていて、家族はのんびりバカンスを楽しんでいた」。

 その前は、ハリウッド映画『X-MENオリジンズ/ウルヴァリン』(原題)の撮影をしていたダニエル。「詳しいことは話せないが、エージェント・ゼロの役を得られたことはとてもエキサイティングなことだった。ハリウッドでは、自分たちには通常アジア人の役、日本人役などしか来ない。しかし、今回はデビッド・ノースという男で“アジア人”という枠の役ではなかった。それに意味があると思う」と、同映画にキャスティングされたことで、俳優としての自信を深めた様子を示した。


 俳優デビューの『私の名前はキム・サムスン』役も多くの競争の末得た役で、そのときは香港にいたが、決まったという連絡を受けた翌日に韓国に行かなければならないという急なスケジュールだったことも明かした。

 その当時韓国語はまったくわからず、その後『春のワルツ』でもまだ韓国語はできなかったため、韓国語のせりふは棒暗記だったことも告白。その後韓国語の勉強を始めて能力はアップ、現在も続けているが「26歳にもなってから始めたので、なかなか上達しない」とジョーク混じりに話した。

 また、「子どものころからバスケットボールをしていて、母はいつも試合に応援に来てくれた。大きな声で名前を呼び声援するので、恥ずかしかったが、うれしかった。バスケットは大好きだったが、背も伸びないし、限界を感じて大学に入った後、母に“ごめん”といってやめた」と子どものころの思い出にも触れた。

 ダニエルは○×クイズやジャンケンでプレゼントをしたり、お手製の健康ドリンクを作って振舞ったり、ギター演奏を披露するなどファンとの時間を過ごした。そして最後にはひとりひとりと握手。投げかけられた魅惑のビームに、ファンは打ち抜かれていた。



東京=野崎友子通信員

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