キム・ギドク監督が呼吸を整えている。息を吸う間もないほど叫び続けてきた過去の悪行や、自分の仕掛けたわなにかかり身もだえしているような以前の「憎悪」は影を潜めた。キム・ギドク監督の14番目の作品『Breath』(19日公開)は監督自身の息遣いを感じさせる作品だ。

 まだお互いを知らない男と女がいる。錐で自分の首を突き自殺しようとした死刑囚のチャン・ジン(チャン・チェン)。浮気をしている夫(ハ・ジョンウ)を憎み、心の牢獄に閉じ込められている女(パク・ジア)。テレビでチャン・ジンのニュースを見た女は、衝動的にタクシーに乗って刑務所に向かい、チャン・ジンとの面会を申請する。もちろん家族でなければ面会はできない。しかし刑務所のすべての日常を監視カメラで見ている保安課長(キム・ギドク)は例外的に2人の面会を許した。美術を専攻した女は保安課長の許可を得て、面会所を美しく飾り、男に対する慰労と自分の救済を図ろうとする。

 極端な状況の中で人生に悩むドラマチックな設定は今回の作品でも同様だが、同作でキム・ギドクは「怒り」よりは「許し」、そして「死」よりは「生」に重点を置いた。観客の見方によってさまざまな解釈が可能だが、題名からこの映画を要約するならば「生きることを放棄しようとしている死刑囚と、そんな死刑囚を通じて呼吸をしようとしている女」といえるだろう。これまでの作品でキム・ギドクのエネルギーの源泉とも解釈されてきた「男の悪行」については、意図的に省略されている。チャン・ジンの恐ろしい犯罪(妻と子どもを殺した)の再現シーンはなく、ニュースの中の一言で観客に伝えられるだけだ。しかしこの邪悪な男は女にとっては魅惑であり、救済の対象だ。存在しない牢獄に閉じ込められている女は実在する牢獄に入れられた男を訪ね、死を渇望する自身の欲求を死刑囚に投射することにより心の平安を得る。


 キム・ギドクの映画に対し、「テーマに対する執着ほどにはストーリーの骨格に対する肉付けが十分ではない」という評価をする観客であるならば、今回の作品でも大きな満足を得るのは難しいだろう。また、汚れた白い洗濯物や使われなくなった髪飾りなど、幾つかの象徴は象徴と呼ぶには恥ずかしいほどの単純な方法で自身の存在理由を説明しようとしている。

 しかし断片的に感じられるこのような物足りなさは、キム・ギドク特有の才能である寓話的な構成により影を潜める。4度目の面会を四季の変化に例え、レンギョウ、ヤシ、コスモス、ロングコートが語りかけるという演出もそのひとつだ。見方によっては「粗野」という印象も受けるほど荒々しく直接的だが、面会所の四方の壁一杯にその季節の写真を張りつけた後、時間の流れと変化を象徴するキム・ギドク特有の演出は予想外の説得力と面白味を感じさせる。

 一言のセリフもなしにあらゆる感情表現をするチャン・チェンの演技は、沈黙はときに言葉よりもはるかに強力な表現になるという事実に気付かせる。チャン・チェンに片思いをする幼い受刑者として登場するカン・イニョンも、新人らしくない豊かな表現力でスクリーンを満たしている。時にはリアリズムで、時にはファンタジーで描く「救い」と「許し」のイメージは、平凡な人々にも十分に理解できる表現法で描かれている。

 キム・ギドク監督はこれまでスクリーンの中と外で数多くの論争を巻き起こしてきた。ある時はキム・ギドク自らが論争の対象になりもしたが、この韓国映画界の問題児は観客に作品で和解の握手を求めている。その手は温かく柔らかい。

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