SE7ENは、“ビッグ歌手”で通っている。男性ソロのアイドル歌手としてRainと人気を競い合っており、東アジア全域で“韓流スター”としての地位も確立した。

 そこから来る自信だろうか。SE7ENは最近、韓国と日本で全く異なる2枚のアルバムをリリースし、活動を開始した。平日は日本で、週末は韓国でファンに会う。「できるだけ多くの人にSE7ENの音楽を聴いてもらいたいんです」。

 韓国でのアルバム『24/7』。パワフルではあるがメロディーしか印象に残らなかった以前のスタイルとは違う。ソテジワアイドゥルの名曲『I KNOW』(原題『ナン・アラヨ』)と同名のタイトル曲を使うというところから3集の戦略は明確に現れている。ヒップホップの核心にさらに一歩近づき、ビートがメロディーを飲み込む。

 SE7ENは「米国の最新トレンドと張り合っても遜色ないフィーリングのヒップホップビート」と自信を示す。しかし、いくら編曲が洗練されているからといっても曲調を重視する韓国の大衆がどのような反応を示すかはわからない。

 「ソテジワアイドゥルが人気絶頂だったころ、私は8歳でした。毎日テレビの前でソテジのダンスを真似ながら、漠然と歌手にならなくては、と思っていて、こうして“アイドゥル”のメンバーのヤン・ヒョンソク代表のもとで2006年版『I KNOW』を歌うことになりました」。SE7ENは「韓国のアルバムがヒップホップとR&B中心だとしたら、日本でのアルバム『FIRST SE7EN』は典型的なJ-POP」と話した。

 最近、米ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンで公演を開いたライバルRainについて、SE7ENは「細かいこと抜きに、ただ自分のことのように気持ちよかった」と話した。「私もジフンさん(Rainの本名)も東アジアでは向かうところ敵無しだと思います。私も機会があったら米国に進出したいです」

 SE7ENは自身の長所について、まずメリハリのある声を挙げた。また、どのステージでもライブにこだわったことが、韓国はもちろん海外でも熱烈ファンを得るうえで重要な要素だったと話した。

 「私はエンターテイナーというより歌手として認められたかったため、口パクは絶対しませんでした。一言で、歌手は歌う人じゃないですか。ちっぽけなステージだとしても口パクだけは許されません」

 中学校3年の時にYGエンターテインメントの研修生として入ったSE7ENは、20歳になってようやく初アルバムを手にした。6人の研修生とSE7ENと一緒にレッスンを受けたが、3年も経たないうちに皆他の芸能プロに移ったり、夢半ばに諦めていった。

 SE7ENは「一人で練習して歌とダンスを見てもらって、それで終わり。会社ではずっと関心を持ってもらえなかった」とし「最後まで残っていた根気と情熱を買ってくれたようだ」と話した。

 SE7ENは韓流ドラマの力を借りず、他の日本の新人歌手と同じようにシングルを出した後、テレビ、ライブを行いながら日本のファンを獲得してきた。

 「自信はありました。私だけに限った話じゃないです。ダンス、歌、スタイルの三要素のどこを見ても、韓国ダンスミュージック界のアーティストには以前よりもっと無限の可能性が広がっていると思います」

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