あの日以降、母親は名前を捨てた。「うちの娘を私が守ってあげられなくて責任を感じる…」。逃げるように引越しをしながらも住民登録上の住所は変えず、電話も他人の名義を借りなければならなかった。もしや誰かが調べると思って恐ろしかった。故イ・ウンジュさんの母親、チェ某さん(仮名・51)は、こうして徹底的に匿名で暮していた。

 「あの日のことはほとんど思い出しません。記憶が途切れたように…」

 1年前の2月22日。娘はネクタイで首を締め付けた姿で発見された。「女優イ・ウンジュが自殺」と伝えられた。多くの取材陣とファンの前で慌しく葬儀を行ったが、チェさんは「よく思い出せない」と言う。「後で報道された姿を見ながら『私がこうさせてしまった』と思いました。最近は息子の名前さえも思い出せない時があります」

 人々が徐々に「イ・ウンジュ」という名前を忘れるにつれ、母親は世間と遠ざかって行った。チェさんは「元々ウンジュを支えるために他人とはほとんど接触がなかった」と話す。彼女は今もテレビを見られない。チャンネルを回して突然、娘の姿を目にすれば一日中、寝込まなければならないからだ。「映画の中では娘が相変らず暮して呼吸し、愛し、喜ぶ姿があります。まだそれを見る勇気がありません」

 しかし、目を閉じてもウンジュは相変らず目の前に現われ、「お母さん大好き」と囁くようだった。周囲の気遣いもむしろ心を痛めた。チェさんは昨年5月、娘がいる納骨堂の近くに引っ越した。

 14日、記者が訪ねた一山の自宅。リビングにもどの部屋にもイ・ウンジュさんの写真はなかった。服も、アクセサリーも、写真も娘の遺品はすべて小さな部屋にまとめてあると言う。

 「ウンジュが健康に良くないコーヒーを一日に何杯も飲んでいる時はどれほど心配したことか…」。母親は今はいない娘の代わりにさまざまなことをする。教会に行き、お茶を飲み、運動をして…。そうしたことが慰労になると言う。娘の49日以降、夫とは会わなかった。「私の考えで芸能人にしたのです。とても主人と顔を合わせることができませんでした。娘の話が出ただけでも喧嘩をするようになって…。もう主人と会う自信がありません」


 17日、忠南にある療養病院。父親のイ某さん(50)は震える手で住民登録証を取り出した。「娘がこの世を去った日が私の誕生日のようです。その日から私は静かに暮しています」。イさんは一生をボランティアに捧げるつもりでこの場所に来た。経営していたビリヤード場を閉め、知人とも連絡を断った。

 「必ず天国でウンジュに会わなければなりません。そのためには少しでも多くの奉仕をしなければなりません。娘に恥ずかしくないように…」。イ・ウンジュさんは亡くなる3日前、車の中で父親に『いとしのクレメンタイン』を歌ってほしいと話していた。

 そして残した一言。「お父さん、天国で会おうね」。「なぜその時、娘の心を理解できなかったのか…」。父親は声を詰まらせた。

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