1970~80年代に大衆の末梢神経を刺激した通俗雑誌『サンデーソウル』の感性を受け継いだ映画『サンデーソウル』(9日公開)は、脱常識の、脱常識による、脱常識のための映画だ。企画、制作、脚本のすべての面で映画の公式を意識的に破り実験した痕跡がはっきりと分かる。3種類のキーワードで『サンデーソウル』の挑戦を分析してみた。



▲ノージャンル

 『サンデーソウル』は一言でジャンルを規定することができない映画だ。3つの独立したエピソードでオムニバス形式をとっているが、3つを繋ぐものは「無茶で奇抜な想像力」であるだけで、まったく違ったカテゴリーの話だ。挙句の果てには、それぞれの話の中でもジャンルのクロスオーバーが活発に行われている。

 いじめられっ子の高校生(ボン・テギュ)が実はオオカミ人間だったという内容の最初のエピソード『オオカミ人間』は学園青春ドラマとSFを融合、連続殺人犯(パク・ソンビン)を扱った二番目のエピソードは恐怖とコミックが交差する。武術を鍛える青年(キム・スヒョン)と天才武術少女(イ・チョンア)の恋愛を扱った最後のエピソード『台風少年』もアクション、コミック、純愛のジャンルを往復する。

 制作陣は「オールジャンルの詰め合わせセット」というキャッチコピーを全面に押し出している。しかし、多くのジャンルが接点もなく集合を成しているという点では、奇抜であるべきという強迫が実験精神を害している印象は否めない。



▲主演は不必要

 ポスターを見てボン・テギュとイ・チョンアが主役だと思ったら大間違い。相対的に認知度の高い二人をポスターに使っただけで二人はそれぞれ独立したエピソードの中心人物であって映画全体では一緒に登場しない。

 映画は助演級の主演と主演級の助演がもたらすアンサンブルに近い。

 『台風少年』で田舍のガソリンスタンドに軽飛行機で乗りつけ、「満タン、プリーズ」と叫ぶ歌手のイ・ヒョヌと暴力団員役を演じたDJ DOCの存在は単純なゲスト出演以上のインパクトがあり、この映画がスローガンとして掲げる「楽しさ」を最も忠実に消化している。2番目のエピソードにしばらく登場する往年のスター、キム・チュリョンとチョン・ソニョも中高年層の目を釘付けにさせる役割を果すだろう。



▲金も不必要

 『Sダイアリー』『サッドムービー』など商業映画を企画して「金に泣き金に笑った」パク・ソンフン監督は、シナリオ段階から投資には期待していなかったと言う。パク監督は「マニア的な映画に投資されることを期待するのは無理だと思った。金のことは気にせず、ともかく面白い映画を作ろうと思って人脈を駆使して俳優たちを集めた」と語った。監督の考えに意気投合した30人余りの出演者全員は出演前の出演料受け取りを断り、80人余りの制作陣も公開後に興行収入を分けることにした。これが制作費7億ウォンの低予算映画が誕生することができた背景だ。

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