毎年“今年の発見”が話題になるが、その“発見”が次ぎの年にも新しい光を放つケースはまれだ。

 しかし、忠武路(チョンムロ)は2004年に続き、2005年にも35歳の3枚目俳優チョン・ジェヨンに“発見”という名を与えるのに、躊躇いを見せない。

 女性と一度たりとも目を合わせることができない、とんまな農家の独身男として観客を笑わせ、泣かせた『私の結婚遠征記』(23日公開)はチョン・ジェヨンの19本目の映画で、『小さな恋のステップ』(2004)『ウェルカム・トゥ・トンマクゴル』(2005)に続く、4本目の主演映画。

 ともすれば、時遅しとも思えるこの“称賛リレー”を、チョン・ジェヨンはどう思っているのだろうか。

 「私がデビューした1996年には、安聖基(アン・ソンギ)先輩が最高でした。ジャンル別に代表選手がいた時代だったんです。タフガイには崔民秀(チェ・ミンス)、演技派としてはムン・ソングン、イ・ギョンヨン、コメディーは朴重勳(パク・ジュンフン)…そして、年が経ち、先輩たちの名前が変わりました。“新たな発見”こんなふうにです。発見!もちろん、嬉しいです。だけど、謙遜ではなく、耳をふさぎ、目を閉じて、ただ頑張るしかないと思います」

 チョン・ジェヨンのスクリーンデビューは10年前に遡る。


 ちょこっと2シーンだけ出る『パク・ボンゴン家出事件』(1996)の不良役。ソウル芸大卒業後、大学路の演劇舞台ではそれなりに認められたが、忠武路でチョン・ジェヨンを呼んでくれるところはどこもなかった。

 図太い神経を持つチョン・ジェヨンは、長かった無名時代を“暗黒時代”と呼んだ。

 「役者同士では、絶対に顔を批評しません。だけど当時、みんなが口を揃えてこう言うんです。顔が平凡すぎると。顔が良くないのなら、とても強そうに見えるか、最低でもタフに見えなくてはならないのに、お前にはそれがないと。だけど、何、(ソン)ガンホ先輩って、ハンサムですか?

 悪気無くグチる180センチメートルの大柄男。

 「それでも私はガンホ先輩よりまマシじゃないですか?(実際に、2人は親しい仲だ)とひそひそ声で話す彼が、『私の結婚遠征記』の純情な農民マンテクと自然に重なる。

 当時、平凡な外見云々と言っていた人たちが「イメージが強すぎると、イメージがなかなか変えられない。平凡な顔だから、あんな役もこんな役もいろいろできるんだ」と言うコトがコロッと変わったという。

 「やりたかったけど、全く映画が私を呼んでくれなかった」その時代、チョン・ジェヨンが選んだ特訓法は“セルフカメラだった。

 本人は恥ずかしがって発言を控えたが、「昨日はチンピラ、今日は障害者、明日は刑事」という風に、即興演技が120分のテープ10本を超えた。

 「他人に見られたら死ぬより恥ずかしいと思い、今はすべて廃棄処分した」というテープの数々。

 しかし、そのおかげで観客は今、『ウェルカム・トゥ・トンマクゴル』の慎重な人民軍リ・スファ、『小さな恋のステップ』の間抜けなプロ野球選手ドン・チソン、『シルミド/SHILMIDO』の短絡的で喧嘩っ早い訓練兵ハン・サンピル、『かわいい』の本当にかわいいチンピラ、モシギを2つの目をこすりながら“発見”できるではないか。

 『私の結婚遠征記』でチョン・ジェヨンは、38歳まで結婚できず、遠くウズベキスタンまで見合い遠征するホン・マンテクを卓越した演技で生き生きと演じた。

 単に、ストーリーに弾みを付けるコメディー演技だけではなく、ウズベキスタンの空港で「みんな押し倒してみせる」という彼の絶叫を見ながら、観客たちはチョン・ジェヨンに“発見”と名付けるのが本当に遅すぎたのだと誰もが思うだろう。

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