「私の頭の中には消しゴムがあるんだって。もう優しくしなくていいよ。どうせ全部忘れちゃうから」と妻は言う。

「俺が全部覚えておくよ。俺が君の記憶、君の心になるから」と夫は応じる。

これは「記憶」をめぐる夫婦愛の映画である。元々は日本のTVドラマ『Pure soul』(出演は緒形直人と永作博美)が下敷きだ。リメーク版ではオリジナルにある「消しゴム」という言葉を作劇の芯に据えた。これがリアルな不治の病に、ポエティックな「キーワード」として共鳴する。

アパレル会社の独身OLスジンは妻ある室長と不倫関係の末に捨てられた(ヒロインの名が『四月の雪』で夫の不倫相手の名前と同じ。本作が先だが、ソン・イェジンが演じている符合が面白い!)。


清純派イェジンが冒頭でもアイシャドーも濃く、荒んだ姿が強烈だ。彼女は虚脱状態でコンビニに入り(お、ファミリーマートだ!)、缶コーラを買う。彼女はコンビニを出て、それを忘れたことに気づく。とって返すと、コンビニの入口で男と出くわす。男が持っていたコーラをもぎ取り、飲み干す。彼女は店内で自分の缶コーラを見つける。記憶喪失の予兆と運命の恋のはじまりである。

男は妥協のない一徹なチョルス。彼はスジンの父が経営する建設会社の下請け大工だ。ふたりは再会し、すぐに恋におちる。スジンは、「愛している」とは言わないけど、全身で彼女を受け止める強さを秘めたチョルスとの、新しい恋に身をゆだねていく。

なにげない日常の断片に記憶の光が射す感じの演出がいい。寡黙なチョルスが高ぶる感情を抑えるために行く野球のバッティングセンター。そこがふたりのデートの場でもあり、のちのち失われた記憶の断片をかたちづくる場所というのも、心に残る風景だ。

チョルスの心の影もあぶり出す。彼には借金まみれで服役中の母がいるが、彼は自分を捨てた母を許さない。そんな彼の閉ざされたこころに、ヒロインが語りかける。人を許すことも必要。「心に部屋をひとつ空けるだけでいいのよ」。頑な夫の心の扉を開けてやる。そして彼が絶縁している母のために、建築費を使うおうと諭す。よく出来た妻だ。このあたりの「心の家」は『冬ソナ』にもあった作劇だ。不器用でワイルドな男の原石チョン・ウソンと可憐な情感派のイェジン。この硬軟コンビがそれぞれの持ち味を活かし、たがいを支え合う関係となっていく。ふたりの新婚生活がたがいの「心の部屋」を広くしていく過程とすれば、後半はその部屋がひとつずつ閉じられていく切なさだ。


 本作の記憶喪失は、記憶障害といった方がいい。不治の「若年性アルツハイマー病」なのだ。スジンは新しい記憶から失われ、夫を不倫相手の室長と思いこんだりもする。夫チョルスには辛い日々だ。観客は男女の恋の記憶と同時に、失われてゆく愛の記憶を目撃する。

スジンがチョルスと共有した記憶が愛しければ愛おしいほど、そのあとの「愛別離苦」の喪失感は波を打って、観客の心を打つ。

身を引こうとするスジンとそれを阻止する夫の葛藤は、韓流作劇得意の「心の綱引き」。ベタなセンチ作劇がないではないが、泣かせるポイントは巧みだ。スジンが記憶のあるうちに書き記す夫への手紙のシーンは、思わずナミダがこぼれちゃう。本作は怒濤のハンカチ・ムービーである。

不治の病となれば、お話の先行きは見えている。が、本作はお涙頂戴の映画じゃない。終盤、スジンのためにこの世の「天国」とも思えるシーンが用意されている。これがとてもいい。本作には神の目を感じさせる、救いの想いがあふれている。最後のふたりの道行きは永遠の愛を醸す清々しさ。ふたりの愛は、人の心を真っ白にリセットし、男女の生まれ変わりの姿をも想像させる。「消しゴム」は少々うがった言い方だが、輪廻のツールにも思える。

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