緊張したようだった。慣れない様子だった。『おかっぱの髪』、『友よ』など数多くの名曲が体育館をがんがん響かせても、『自尊心』、『旅に出よう』といったロックビートの音楽が流れ出しても、彼らは目を細め、落ち着き払っていた。

 拍手も参観団の誘導に合わせていた。

 23日午後6時から2時間、平壌(ピョンヤン)の鄭周永体育館で開かれた韓国の“国民歌手”チョーヨンピルの初の北朝鮮コンサート「チョーヨンピル平壌2005」。

 ソウルから音響や照明装備を運び設置した華やかな舞台でチョーヨンピルは熱唱したが、7000人余りの平壌市民の反応は、はじめはあまりにも落ち着いたものだった。

 この“氷”のような雰囲気も次第に溶け始めた。『釜山港へ帰れ』から反応を見せ始めた。客席のあちこちから、リズムに合わせた拍手が沸いた。続いて『虚空』が流れると肩の力を抜き、口元に笑みが浮かんだ。

 チョーヨンピルはセンスあるトークで客席の緊張をほぐした。「今の雰囲気、大変です。私も37年間音楽をやってきましたので、ずいぶん長くやってきたものですが。あ、でも、私の年は40ですから」 客席から笑いがもれた。

 「今、笑ってくれました? こんなに緊張したことがないんです。バンドのメンバーには緊張せずに行こうと言っておいたのに、自分が震え上がってしまいました」

 まもなくして、小さな奇跡が起きた。南から来た歌手の歌う一曲に北朝鮮住民らが涙を流したのだ。

 公演の中盤、チョーヨンピルが北朝鮮の歌曲『高い波を越え再び会おう』を歌い出すと、観客の目は潤み始めた。そして、『鳳仙花』、『荒城旧跡』で、目から涙が零れ落ちた。

 公演の後半に『子守歌』、『高い波…』で熱い反応を見せた客席は、最後の曲『夢のアリラン』、『一人だけのアリラン』で再びチョーヨンピルを感激させた。ほとんどの観客が一緒に歌を歌い、拍手をしながらひとつになってくれたのだ。

 これまでに北朝鮮を訪問した多数の政治家と経済人が作り出すことのできなかった感動を、チョーヨンピルがこの日、平壌にプレゼントした。

 観客の拍手から感動が、熱い真心が感じられた。平壌市民らが聞いたのは、ちょっと不慣れないものではあったが、情の感じられる、“ひとつ”であることを歌ったチョーヨンピルの心の歌であったためだ。

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