『恋愛の目的』を見てから再三確認した。恋愛の「目的」は恋愛そのものだ。「結婚」が目的だった時代は既に過ぎ去り、それでもセックスに限定することが出来る状況でもない。

 溢れるテストステロンとエストロゲンで楽しむ瞬間の真正性。そして瞬間の真正性を無惨にあざ笑う社会の固定観念と制度。『恋愛の目的』は2005年の韓国社会で最も前衛にある恋愛の一風景を愉快かつ寂しく描き出す。

 主人公は韓国映画史上最も貪欲な独身教師ユリム(パク・ヘイル)と、表面は頼りなく見える教育実習生のホン(カン・ヘジョン)。『恋愛の目的』は初盤にナレーティブよりはエピソードに集中する。観客は時々自分の過去を思い浮かべたり、自分より遥かに進んでいるこのカップルから代理満足のような快感を味わうことが出来るだろう。

 本当に愛くるしいとしか表現しようのないパク・ヘイルでなかったら、ユリムというキャラクターは女性客に受け入れられなかっただろう。初めて会った教育実習生に「濡れた?自分は勃ったんだけど」と話す男性教師がどこにいるだろうか。しかも6年交際している恋人が両目を見開いて見ているのだ。

 「彼女はいない?」と聞くホンにユリムは「会って6年になるから、自分の子どもみたいだし親みたい」と自然に言い返す。「仕事のことで相談したいことがある」と言って仕事を理由に教育実習生を酒に誘い、その場で「こんなことを言っていいか分からないけど、一緒に寝ない?」と言い出すユリム。


 修学旅行先のホテルで遂に教育実習生のジャージのズボンを脱がせて「5秒だけ入れるよ」と固執する破廉恥教師を見て客席は驚愕(あるいは歓呼)する。

 「浮気者」パク・ヘイルの行動に爆笑した頃、映画は隠されたホンのトラウマへと話題を変えて他の次元へとシフトしていく。前半には見られなかったカン・ヘジョンのキャラクターが輝いてくるのもこの辺りからだ。

 結局そのトラウマは浮気者の独身教師に回復不可能な致命傷を与え、『恋愛の目的』が単純に2時間の笑いを消費するロマンスコメディではないと主張する。

 それは人生が映画のように純粋ではないということを見せる宣言でありながら、社会(あるいは学校)という制度の中で偽善的に包み込まれている私たちの性の役割を表す。

 この映画に対する唯一の不満は映画の最後にある数分の後日談だ。このまま終われば良かったものを『恋愛の目的』は突然1年後に場面を移した後、不意に二人を再会させて雪の降る日にハッピーエンドで終える。大衆映画で興行に対する強迫は当然だが、説得力とリアリティーを忘れてしまった減らず口の後日談に過ぎない。ハン・ジェリム監督。10日公開。

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