昨年の夏から人々はテレビ、飲み屋、カラオケなどから洪水のように流れる一曲の演歌に夢中になった。単純明快なメロディーに20代の女性歌手が歌う歌声が絶妙のハーモニーを奏でた。その曲のタイトルは『オモナ』。幼稚園生からお年寄りまで幅広い世代を虜にした『オモナ』の力は、「大衆歌謡」という言葉にある大衆の意味に生命力と完結性を与えた。

 この曲を歌うヒロイン、チャン・ユンジョン(25)が2ndアルバムをリリースした。リードトラックの『チャンチャラ』は『オモナ』の路線をそのまま受け継いだ覚えやすい一曲。

 「演歌の道に進んだことはまったく後悔していません。韓国人の感性にぴったりだと思います。どんなに悲しい歌を歌っても何の感情も湧かなかった私が、哀愁の演歌さえ歌えばぐっとくることも、すべて理由があるんです」

 実際にチャン・ユンジョンの1stアルバムはまったくの空振りだった。『オモナ』という歴史に残るヒット曲は、昨年末までは存在しなかったのだ。「演歌歌手のアルバムは売れない」と判断した所属事務所は、2003年10月、25日で『オモナ』のレコーディングを終わらせた後、プロモ用のCDを放送局に送った。ところが、この曲がちょうど1年後にヒットしたのだ。

 1stアルバムはカバー曲で満たされていたが、今回の2ndアルバムはそれとはまったく異なる。演歌とバラードを融合させた彼女の力強い歌声は驚異的だ。本人も「無理やりアルバムを出すようで本当に申し訳なかった」という不安がすべて消えた。

 未だ冷めやらない『オモナ』の人気がプレッシャーにならないのか?チャン・ユンジョンは冷静だった。「どっちにしてもスターを夢見ていたら演歌歌手としてはデビューしていなかった。2ndアルバムが失敗しても気にならない。どんと構えて、いくらでも待つことが出来る」と語った。

 チャン・ユンジョンの人生は劇的な出来事が多かった。そのうちの一つは99年の江辺(カンビョン)歌謡祭で『私の中のあなた』という曲で大賞を受賞したこと。子どもの頃から歌手を夢見ていたチャン・ユンジョンは、将来を保障されたようなものだった。しかし、成功とは一転して悲劇が訪れた。所属事務所はチャン・ユンジョンにまったく気を使わず、父親の事業が失敗して莫大な借金を抱えることになった。一人暮らしをする新村(シンチョン)の部屋は、その後3年間暖房を使えなかった。

 「道で物乞いする人を見ても私よりましだと感じます。生きるために何か努力をしているからです。私は自暴自棄になって何も出来ませんでした」

 そして2003年7月に再び転機が訪れた。面識だけあった某プロダクション社長からの突然のオファーだった。「君、一度演歌でも歌ってみない?」。チャン・ユンジョンはその瞬間、情けなくなり涙を流した。3日間も眠れなかった。「なぜ演歌なんか歌うんだ?」と後ろ指を刺されることが恐ろしかったが、「最後のチャンスかも知れない」という考えが徐々に頭の中を満たしていった。そして遂に決断を下した。「無闇にスターを夢見て失敗するより、子どもの頃から演歌が好きなのだから一度やってみよう」

 チャン・ユンジョンも時には雰囲気満点のバラードを大勢の前で歌いたいと思う。「それでも公演会場で観客の皆さんの声援をバックに歌うことを知ってしまったので演歌の世界から去ることが出来ません」

 チャン・ユンジョンは幼稚園の美術大会から各種フェスティバルに、一日4~5か所を回る。「私は初めから指に宝石をするような人を相手に歌を歌っているわけではありません。公演会場にはエプロンや作業着姿の人が一人や二人ではありません。そんな人々の手を一人一人握ると、生活に疲れきった顔がぱっと笑顔になります。

そんな笑顔のために私は辛くても歌い続けます」

ホーム TOP