映画
【スクリーンアクセント】『ラスト・サムライ』の鉄砲と刀
「鉄砲と刀が戦えばどちらが勝つか」
今ではこれ自体が質問として成り立たない。しかし、鉄砲ははじめから刀よりもすべての面で優れた武器ではなかった。
1800年代半ばに誕生した初期の近代小銃も、現在の自動小銃に比べれば非常に不完全で扱いにくい武器だった。
1876年の日本を背景に刀を持った侍と鉄砲を手にした政府軍が戦う『ラスト・サムライ』(エドワード・ズウィック監督)は、19世紀の小銃の能力と限界を巧みに描写している。
映画の中で日本の政府軍を指導し、地方の侍を根絶しようとした米国のネイサン・オールグレン大尉(トム・クルーズ)は、逆に侍の武士精神に感化される。
遂に彼は鉄砲を捨て、刀を手にして侍の味方につく。消え行く侍の時代を引き潮のように美化するこの映画は、刀をクローズアップした背景の色で鉄砲を描写した印象がぬぐえない。しかし、映画の中でちらほらと見られる昔の小銃の限界は事実に忠実な描写だ。
日本の政府軍が持つエンフィールドなどの旧型小銃は、鉄の銃弾と火薬を銃口から詰め込んだ後、細長い棒で銃弾と火薬を奥まで押し込んでようやく一発の装填が終わるという鉄砲だった。熟練の射手でも1分に一発といった割合でしか撃てず、しかも馬に乗りながら一連の作業をするのは至難の技だった。
それだけに初期の小銃は銃弾を撃つ機能に劣らず、銃剣としての性能も重要だった。接近戦では銃弾を撃つよりも逆に銃剣で突く方が早かった。そのため「エンフィールド1853」モデルの場合、長さが1メートル38センチもあり、現代のM-16小銃より約38センチも長い。
これに銃剣まで装着すれば全長は大人の背丈を越えた。互いに相手を突かなければならない白兵戦では武器の長さが敵よりも1センチでも長い方が有利だったからだ。
『ラスト サムライ』の戦闘シーンで小銃は、刀を持った武士を一気に制圧することはできない。一発の弾を発射させて次の装填にもたつく間に侍の刀で攻撃される。天皇と国家に命捧げてきた勝元盛次(渡辺謙)が桜と共に散る壮絶なシーンでも、“ラスト・サムライ”を倒すのは小銃ではなく当時初めて登場したバルカン砲式の機関銃「ガトリング銃」だった。
勢力が衰えた19世紀の侍は、装備も貧弱で鎧も胸を覆う程度で戦ったと記録が残っているが、この映画では華やかな鎧や兜などを身につけ戦国時代のように完璧な姿で登場する。これは消え行く侍の姿を美しく見せようとする映画的な演出と言える。