韓国系米国人の30代女性が、米大手映画会社の役員に選任され、映画配給とプロモーションの陣頭指揮を執ることになった。

 1歳の時に両親と共に渡米したローラ・キム(韓国名:金ジヨン/36)さんは最近、米大手映画会社「ワーナーブラザーズ・エンターテインメント」傘下の「ワーナー・インデペンデント・ピクチャーズ(WIP)」のマーケティング・広報担当の専務取締役に選任され、10月6日からWIP社の映画広報と映画配給業務を担当する。

 韓国系米国人が米国の大手映画会社でこうした高いポストに選任されたのは、今回が初めて。

 1989年から3年間、ディズニーの映画会社「ブエナビスタピクチャーズ」のマーケティング部でさまざまな経験を積んだ金専務取締役は、1992年から11年間、ロサンゼルスの広告代理店「mPRm」で勤務した実績を買われて専務取締役の地位まで上りつめた。

 金専務取締役がこの座に就くまでは、まさに波乱万丈の人生だった。ハリウッドの映画界で彼女は、“仕事中毒”といわれるほど、日付が変わって帰宅するのが日課だった。今年公開された独立映画で好評を受けたかなりの作品が彼女の手を通じて広く知られるようになったのも、仕事に対する情熱と企画力のためだ。

 金専務取締役は「独立映画をプロモーションする上で最大のジレンマは、大衆をターゲットにして作られたブロックバスター(超大作)とは違い、少ない予算で想像力を総動員して作品をプロモーションしなければならないこと」と語った。

 ピーター・グリーナウェイ監督の『ピーター・グリーナウェイの枕草子』の場合、資金不足で昼間はプロモーション、夜は車で移動しながら、21日間、全米21都市を回ったという。

 金専務取締役は少ない予算でさまざまなアイディアを絞り出して映画をプロモーションする卓越した感覚と企画力を兼ね備えている。

 これまでに金専務取締役が関わった作品は『ベター・ラック・トゥモロゥ』、『マルコヴィッチの穴』、『戦場のピアニスト』、『スウィート ヒアアフター』など、数百本に上る。また、『春香伝』や『家へ』など、韓国映画のプロモーションにも携わった。

 金専務取締役が現在マーケティング作業を進めている作品は、クリント・イーストウッドの『ミスティック・リバー』、ゴース・ベン・セイントの『Elephant』、アンドリュー・ジャレキーの『Capturing the Friedmans』、スティーブン・フリアーズの『Dirty Pretty Things』などがある。

 金専務取締役は生後10カ月だった1968年、米国に移民した。彼女が米国の医大に進学することを希望した父 金ジンギルさんの決心のためだった。ボストン大学に入学した金専務取締役は自分の適性は他にあると悟り、医学部への進学を諦めてマスコミ関係に進路を修正した。

 金専務取締役は自分を方って置けないスタイルだ。学生時代もアジア学生協会の会長を務める傍ら、アイスクリーム、ペイント、レストランと、3つの店でのアルバイトを同時にこなした。

 「学生時代は1週間に2~3日は夜も眠れないほど忙しかったですね。両親はバイトを止めるよう言いましたが、自分自身に常に新しいことを取り入れないといけないと考えたんです」

 彼女の社会生活も、1日平均4~5時間の睡眠を取っていることを除いては、学生時代とそう変わらなかった。毎朝6時ごろ起きて、電子メールをチェックした後、映画を観たり、映画のシナリオを読むことで1日を始める。

 朝9時に出勤すると、会議をしたり映画を観ない時は、1日中、電話の相手をしている。電話や電子メールを通じて、1日平均150人余の記者や映画製作者、配給者などと対話をしている。

 金専務取締役の退勤は平均して夜11時。自宅に戻っても、電子メールを真っ先にチェックし、事務室では時間がなくて観れなかった映画を観たりして、午前1~2時ごろ眠りにつく。

 週末はロサンジェルスに位置する芸術デザイン学校でグラフィックデザインなどの講義を受ける。金専務取締役は「30歳になった時、時間を作って大学で新しい科目を勉強しようと決心した」とし、「常に、自分の脳が錆びないようにすることが重要だ」と話した。

 何かと自分を発展させることに夢中であるため、結婚も後回しにしているという。

 金専務取締役は1989年、大学を卒業した直後、職を求めて直接車を運転し、米西部のロスに向かったという。14年目にして彼女はトップの座にまた一歩近付いている。

ニューヨーク=金ジェホ特派員

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