趙容弼(チョー・ヨンピル/53)氏の表情がだいぶ明るくなった。時には笑顔も見せた。だが、「妻」の話をし始めるとやはり目に手をやった。

 1月6日に妻のアン・ジンヒョンさん(54)を病気で失った後、23日に喪から明けた趙容弼氏に、ソウル市・方背(パンベ)洞にある彼の自宅近くのレストランで会った。これまで趙容弼氏は外部との連絡を一切絶ち、方背洞の自宅で過ごしてきた。「家でどうやって過ごしていたか」と問うと「ただ呆然としていた」と答えた。

 「これまで毎週月曜日と木曜日に京畿(キョンギ)道・華城(ファソン)の妻の墓に行っていました。妻は花が好きでしたので、花を替えにね。日曜日にはお寺(貞陵(チョンルン)ネウォン寺)にも行きました。それ以外の日はずっと家にいました」

 仏教では人が亡くなってから49日までに後世が決まると信じられている。そのため7日に一回、7週間にわたって法事を営み、良い生まれ変わりができるようにする。

 趙容弼氏は「喪は明けたから」と言って杯を勧めた。「喪が明けてからも落ち込んでいたら、妻が天国に行けないっていわれました。もう泣かないで忘れなさいという意味でしょう」

 しかし、そうした言葉とは裏腹に妻を忘れることはそう簡単ではないようだった。4月からスタートする全国ツアーの話をしながらも妻の話に戻っていた。

 「手術は上手くいって、私が行った時には食事もよく食べていたんでキよ。二人で手を取り合って家の中を歩き回ったりもしました。ところが急に血管が裂けて…。大雪で病院へ行くにも車が動かなかったんです。結局、病院に到着してから30分後に逝ってしまいました…」

 妻のアン・ジンヒョンさんが米国でコンサルティング会社を経営していたため、二人は離れて過ごすことが多かった。日によっては一日に15回以上も電話をしたこともあったという。

 「朝、電話で起こしてあげることから始まるのです。もう10分だけ寝ると言えば10分後にまた電話をして…。趙容弼博物館を作ると私の衣裳もすべて米国に持って行ったのですが…」

 趙容弼氏は7年ほど住んだ方背(パンべ)洞のビラを最近売却し、近隣に新たなビラを購入した。「家に帰ると妻の事を思い出すから、家を変えてしまいたかった」という。

 彼が連絡を絶ち切っている間、巷には多数の噂が飛び交った。趙容弼氏は「米国で葬式の後、カラオケに行ったという記事まで書かれたんです。いったい、どこの気の狂った男が、妻の葬式の後、カラオケに行けるというんですか」。

 彼が説明する事のいきさつはこうだ。葬式後、義弟の金チャンジュン元米連邦下院議員のバージニアの自宅へ行った。そこにはカラオケがあった。家族らが「故人の好きだった曲を聞かせてあげてはどうか」と提案してかけた曲が趙容弼氏の1stアルバムに収録された『帰らざる河』だった。

 「あなたの瞳の中に私がいて/私の瞳の中にあなたがいる時/私たちは幸せだった…冬の木の間へと/あなたは行ってしまい/私は1匹の鳥になった」

 歌詞が胸に染みて、彼はマイクを下ろして嗚咽した。

 趙容弼氏は当初明らかにした通り、妻の遺産200万ドル(24億ウォン)全額でもって、来年初めまで心臓病財団を設立する予定だ。これに、公演の収益10%を寄付し、死ぬ時は全財産を寄付する計画だ。

 8月ごろにはニューアルバムもリリースする。正規アルバムとしては18番目となる。「追悼の曲ではないんだが…。ただ、妻と私の話を盛り込んだ、そんな曲を作って入れるつもり」という。

 趙容弼氏は米国に渡り、3月中旬ごろ戻ってくる予定だという。「もう退屈で飛行機に乗ることもできないと思いますよ。以前は妻がいたから、14時間を乗るのも我慢できたんだが、もう行ってもいないからね…」。

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