スターインタビュー
「マラソンを完走するように職業も挑戦が大事」
「ファンクラブの会員1000人のうち、980人が女性!」
タレントの朴ギョンリム(24)さんが大韓民国の10代の少女たちに職業と人生の道について助言する“メンター”の役割を果す。
今月12~15日、女性部の主催でソウル汝矣島(ヨイド)の総合展示場で開かれる「2002女性新職業フェスティバル」の初日、朴ギョンリムさんは女子中学生や高校生を相手に、職業選択をはじめ、人生に対する助言をする予定だ。角張った顔に特異な声など、外形的な“悪条件”を乗り越え、スターの座に上り詰めるまでの彼女の経験談を通じて、「自分の職を持つこと」の根本を語り合おうという場だ。
「タレント生活をはじめてもう6年になります。10代が最も憧れるという芸能人という職業について、ありのままの話をしようと思います。結論は一つです。私が女性だから良い、きつい仕事だけれど良い。変な話ですが、私は自分が(社会的に差別を受ける)女性だという存在感でもって、さらにダイナミックで挑戦的になり得ると思うんです。それがまた楽しい」
現在、朴ギョンリムさんはテレビのバラエティー番組の司会と週末ドラマの出演の2つの仕事を受け持っている。
朴ギョンリムさんはかなり早くから自分の進路を決めていた。小学校5年の遠足で、下痢になった隣のクラスの学級委員の代わりに司会をやったのが、潜在された能力に目覚めるきっかけとなった。2時間の間、全校生徒を爆笑の渦に巻き込んだ朴ギョンリムさんは、自らも驚いたという。お陰で、6年生の時は極端に貧しかった彼女が金持ちの男の子を制して生徒会長に選ばれた。
「担任の先生にまじめに聞いてみたんです。司会だけみる職はないのかと。アンカーやアナウンサーにならなければならないと言われ、6年生の時から大学のキャンパスを下見したんですよ。女子高時代、隣の男子校の文化祭の司会までやっていたため、クラスで38位にまで成績が落ちたこともありますが、高3になってからは、考試院(公務員試験の受検のために作られた寝泊りの可能な勉強施設)に入って、歯を食いしばって勉強しました」
しかし、女性として朴ギョンリムさんの人生の難関は大学ではなかった。人気のラジオ番組『李ムンセの星の輝く夜に』で、運良く抜擢されたが、芸能界はやはり、外見のきれいな女性の方が有利だった。最高の司会者を夢見る彼女にとって、角張った顔やハスキーな声は最悪の条件だった。お手洗いに行く途中、偶然フロアディレクター(FD)が話しているのを耳にした。誰かが「朴ギョンリムってどうだ?」と聞くと、「今はでしゃばっているが、もうすぐ消えるだろう。ブスのくせに」
「それを聞いて、負けてたまるかと思うようになりました。声をよくしようと、蜂蜜につけたニンニクを食べていたんですが、それも止めました。どうせ、このように生まれたのだから、不満を言うのは止めよう。顔はブスだけれど、他にたくさんのものを持っていると考えよう。そのように、自分をマインドコントロールしました」
美人でもブスでも「慣れればきれいに見える」という信念の元、できるだけ多くの番組に顔を出した。弱点や自分の隙までもありのまま、見せた。男性に10回のチャンスが訪れ、2回を掴むとすると、女性の自分には2回のチャンスが訪れ、2回とも掴むという覚悟! 常に、これが最初で最後のチャンスだと考えた。
戦略は適中した。「お隣のお姉さんのような芸能人」はもちろん、「人気女性コメディアン」にも1番に選ばれた。最近は男女合わせての司会者の人気投票で2位をマークしている。女性に最も脆弱と言われる人間関係をしっかり維持していくのも彼女のメリット。真夜中に友たちを呼び出すある番組で、朴ギョンリムさんは17人という最多記録を達成したりもした。
「人と人の間の話を漏らさないという原則だけ守ればいいんですよ。今この場が楽しいからといって、人の話をするのは正しくない。特に、女性が女性の悪口を言うのは、自分の顔につばを吐くのと同じですね」
舊把撥(クパバル)市場で知らない人がいないほど、気さくなおてんば娘は、来年、米国留学を計画している。「オプラ・ウィンフリーのようなトークショーのホストになりたいです。若い時には勉強がさらに必要だと、切実に感じています」そうするためには「女性の持つ繊細さ、柔らかさを最大限に活用しよう」という。
「1年でも10年でも、“やり遂げる”ことが重要だと思うんです。マラソンを完走するように、職業も人生も、そのように挑戦しながら、開拓していくものだと信じています」。中高生たちに話したいことだというが、実は、働く女性全員が耳を傾けるべき話だ。