チェ・ジンシルさんの死から12年…今でも恋しい「万人の恋人」

 【Pickcon】女優チェ・ジンシルさんがこの世を去ってから12年たった。2008年10月2日に亡くなってからいつの間にか12年という時間が過ぎたが、今でも恋しく切ない。きょうは、真心のこもった演技、誠実な善行を繰り広げ、「万人の恋人」と呼ばれたチェ・ジンシルさんが一段と思い出される日だ。

チェ・ジンシルさんの死から12年…今でも恋しい「万人の恋人」

 1988年、新人モデルを探していたサムソン電子のテレビコマーシャルでデビューすることになったチェ・ジンシルさん。当時、「男は女次第です」というコピーとともに、CMはもちろん、チェ・ジンシルさんも大人気を博した。同年、MBC特別採用女優として合格したチェ・ジンシルさんは、『朝鮮王朝500年ー閑中録 』でドラマデビューを果たし、女優として歩み始めた。MBCはその後、チェ・ジンシルさんとともに歩み「ドラマ王国」という名声を得ることになる。チェ・ジンシルさんが出演したドラマ『嫉妬』(1992)をはじめ、多くの作品が好反応を得て、高視聴率を記録した。特に、チェ・ジンシルさんは俳優アン・ジェウクと共演したドラマ『星に願いを』(1997)、『あなた、そして私』を通じ、MBC演技大賞授賞式で生まれて初めて大賞を手にした。

 チェ・ジンシルさんはスクリーンでも活躍を繰り広げた。1990年に公開された映画『南部軍 愛と幻想のパルチザン』でスクリーンデビューを果たしたチェ・ジンシルさんは、同年開催された第11回青龍映画賞授賞式で新人女優賞および人気スター賞を受賞した。その後、さまざまな社会問題を扱った作品に出演し、意義深い歩みを続け、映画『嫁さん殺し』で初めて主演女優賞(大鐘賞)を手にした。特に、チェ・ジンシルさんは1996年を除き、1990年から1998年まで、毎年青龍映画賞授賞式で人気スター賞を受賞している。

チェ・ジンシルさんの死から12年…今でも恋しい「万人の恋人」

 2000年に当時読売ジャイアンツに所属していたプロ野球選手チョ・ソンミンと結婚し、2001年に息子が、2003年には娘が誕生したが、2004年に離婚した。その後、チェ・ジンシルさんはMBCと協議の末、KBS第2のドラマ『バラ色の人生』に出演し、第2の全盛期を迎えた。当時、『バラ色の人生』でメン・スニ役を演じたチェ・ジンシルさんは、赤裸々な庶民の演技を繰り広げ、視聴者から共感を得たほか、夫の浮気を知り余命を宣告されるなど、すさまじい感情演技を見せ、お茶の間を涙の渦に巻き込んだ。

 その後、再びMBCに戻ってきたチェ・ジンシルさんは『悪い女 善い女』に出演し、よい反応を得た。2008年に放送された『ラスト・スキャンダル』では「ジュンマレラ(アジュンマ〈おばさん〉+シンデレラ)・シンドローム」を巻き起こしたが、同年10月にこの世を去り、多くの人が衝撃を受けた。2008年11月に行われた第29回青龍映画賞授賞式では、1990年代に最も熱い人気を得ていたチェ・ジンシルさんに「名誉人気スター賞」が授与された。代理受賞者として、チェ・ジンシルさんのスクリーンデビュー作で共演した俳優アン・ソンギがステージに上がり、哀悼の意を表した。また、同年末に開催されたMBC演技大賞授賞式では功労賞が贈られた。

 このように、デビュー後間もなくスターとなり、トップの座を守り続けながらも、チェ・ジンシルさんは気さくな一面を見せ、コツコツと公益活動を繰り広げ、温かい心を示してきた。親がいない少年少女を支援するのはもちろん、財政的に厳しい大学などにも奨学金を支援し、密陽女子中学生集団性的暴行事件の被害者に対する後援金支給など、経済的な支援からホームレス、児童養護施設の子どもたち、低所得層の子どもたちの面倒を見ながら、彼らに対する関心を求めたり、女性の人権や同性愛に対してスポットライトを当てるなど、社会から疎外されている人たちに注目した。今後も人々がチェ・ジンシルさんを忘れられない理由でもある。

ハ・ナヨン記者

<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c)Chosunonline.com>