ふなパン屋を探すのは大変!? 「大東プルパン地図」登場

 ふなパン、鯉パン、菊パンなど、「プルパン(といた小麦粉を型に流し込んで作る焼き菓子)」は冬を代表するおやつだ。しかし、いざ食べようと思っても、これを売っている屋台を見つけるのは容易ではない。そんな中、インターネットユーザーたちが行動に出た。インターネットユーザーたちはいわゆる「集団的知性の力」を発揮し、全国八道のプルパン店の位置を表示し、情報を共有する「大東プルパン地図」を制作した。

 この地図は2年前の2017年、あるインターネットユーザーが朝鮮王朝後期に金正浩(キム・ジョンホ)が編纂した「大東輿地図」に着目し、全国のふなパン店の位置を表示した「大東ふなパン地図」の拡大版だ。参加型地図システムであるグーグル・オープンマップを活用した。利用者たちが自ら屋台を表示し、情報を更新することができる。ほかの人がアップした内容を修正したり、追加することもでき、屋台の数や情報が引き続きアップデートされている。2月25日現在、ふなパン、鯉パン、菊パン、卵パン、ホットク(韓国式おやき)などを売る店877カ所が表示されている。

ふなパン屋を探すのは大変!? 「大東プルパン地図」登場

 地図に表示されたアイコンをクリックすると、プルパン屋台の情報が出てくる。ソウル市瑞草区盤浦洞の高速バスターミナル近くのアイコンを押すと、「(地下鉄)14番出口前の鯉パン、頭からしっぽまであんこがたっぷり詰まっている。いつも変わらずアツアツで甘くてボリュームたっぷり」という説明がついている。大学路の鯉パン店は「恵化駅近くにあんこ・シュークリームミニ鯉パン3個1000ウォン(約100円)、現金も口座振替も可能。シュークリームが甘いけれど、でんぷんが多く含まれているせいかほとんど透明で、個人的にコスパがよくないと思う」と書かれている。このように位置や価格、味、対応など詳しい情報が記載されているが、個人が自発的に書き込んでいるので、位置しか表示していないなど情報が乏しい店もある。

 プルパンの起源は日本のたい焼きだ。東京・麻布十番の浪花家で1909年に初めてつくられ、今年で100年になる。たい焼きは1930年代に韓国に伝わり、ふなパンになった。見た目は似ているが、たい焼きはしっぽが上を向いており、ふなパンに比べ躍動的だ。味はほとんど変わらない。20年ほど前に生まれた鯉パンは、ふなパンよりスリムで中がかすかに透けて見え、カリッとしていて具もあんこのほかクリーム、キムチなどさまざまだ。

 1950-60年代に米国からの援助で小麦粉が大量に入ってくると、一気に広がった。経済的に苦しい庶民たちが昼食代わりに食べるほど価格が手ごろだった。1980年代に入ると次第に姿を消していったが、1997年のアジア通貨危機以降、レトロブームとともに再び登場し始めた。一時は「不況の指標」でもあった。景気が低迷し、失業者が増えると、仕事を失った人たちがプルパン屋を営むようになり、道に屋台があふれたためだ。

 最近では「大東プルパン地図」を作って共有し、「ふな勢圏(ふなパン+駅勢圏)」というジョークが飛び出すほど、屋台を見つけるのは難しい。景気がよくなったためではなく、物価上昇により原材料価格が高騰したためだ。ソウル市中区薬水洞の鯉パン屋台の店主は「小麦粉と砂糖、特に小豆の価格が大幅に上昇し、売ってももうけがない。1000ウォンで4、5個だったのが2、3個に減ったため、人々は高いと言ってあまり買わなくなった」と話している。

キム・ソンユン記者
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