インタビュー:ソ・ジョンヒ「偽りの城に閉じ込められていた」

ソ・セウォンと離婚後、毎日書いた日記を出版
「『エレベーター暴行事件』が発覚して目が覚めた」

■掘っ立て小屋、父親、そして貧しさ

 離婚後、ソ・ジョンヒは1年半ほど神経精神科に通ってカウンセリング治療を受けた。相談の過程はつらく、苦痛だった。ソ・ジョンヒは「何でも早く、しっかりやりたいと考える私の性分が、カウンセリング治療では足を引っ張ったんです」と話す。

-本にも書いてありますね。何につけても人一倍頑張り、練習し、訓練して学ぼうとしたそうですね。料理もコーディネートも本を書くことも…。

「学校で勉強できなかったという心残りがあるからです。高校の卒業証書ももらえなかったし、突然、誰かの妻として生きることになったんですから。いつもコンプレックスがありました。卒業はできませんでしたが、その分、自分の感覚や見よう見まねで乗り越えなければならないと…(笑)。1着の服をきれいに着るため事前に数十着試着したり、一度レストランで食事をしたら、この店ではどうやってこの料理を作っているのかと目で盗んだりしました。だから、カウンセリング治療時でさえ『早く治そう』と闘志を燃やしていました。お医者さんは『もう気を張るのはやめなさい』って」

 ソ・ジョンヒの父親は、彼女が5歳の時に心臓発作で亡くなった。1人残された母親は米軍基地内で働き、ソウル市竜山区普光洞の掘っ立て小屋で4人きょうだいを育てた。上から2人目だったソ・ジョンヒは祖母の手で育てられた。きょうだいの世話で疲れていた祖母はきょうだいの中でも特に病弱て食が細かったソ・ジョンヒをしばしばたたいた。「お願いだから何も言わなくてもさっさと食べてちょうだい」が祖母の口癖だったという。

-衣食住にこだわりがあったのは、こうした経験があったからですか?

「そうだと思います。『どうでもいいから』『さっさと』…そういうのがすごくイヤでした。何か1つ置くにしても、きちんときれいに置きたかったんです。実は今でもテーブルクロスや花一輪にこだわっています。善かれあしかれ、32年間の結婚生活で衣食住と育児にだけこだわって生きてきたので、結局それは私の一部ではないでしょうか。『適当に』『何でもいいから』という具合にはできないんです。誰も見ていない時でさえ、ボディーラインが出ないゆったりとした服を着ます。細い体がコンプレックスなんです。家の中はいつもきれいにしなければならないし。変でも仕方ないですね。これも私だということを認めなければ」

宋恵真(ソン・ヘジン)記者
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