インタビュー:ソ・ジョンヒ「偽りの城に閉じ込められていた」

ソ・セウォンと離婚後、毎日書いた日記を出版
「『エレベーター暴行事件』が発覚して目が覚めた」

-結婚しなければよかったのでは?

「20歳でした。何も知らなかったんです。ただ生きなければならないと思っていました」

 ソ・ジョンヒは本に、同棲を始めたころのことを書いている。そのころ、ソ・セウォンの実家の家族たちは何かあると「(ソ・セウォンの)将来を台無しするな」と怒り、2人の家に突然来たので、恐ろしくて震えながら台所の流し台のそばやクローゼットの中に隠れて眠ったことがよくあったという。落ち着いてきたのは、長女ドンジュさんを出産して以降のことだった。

-お子さん2人を育てていた時は幸せだったということですか?

「幸せだと信じていたんです。事実、その枠の中だけは私自身、完ぺきにしようと思っていました。ご飯一つとっても、ただ普通に炊いたりしない。必ずご飯のおこげを作って、スンニュン(食後に飲むと体にいいとされる、おこげにお湯を注いだもの)も用意したし、子どもの服の用意もスキンケアもきちんとしました。その瞬間だけはすべてのことを忘れて没頭できました。私の子ども、私の家庭…。私が世話をしているんだという事実だけで、心が満たされました」

 しかし、本によると、ソ・ジョンヒはソ・セウォンの浮気を知っても知らないふりをしたり、時にソ・セウォンに暴力を振るわれ、暴言を浴びられたりした時は「メメント・モリ」(Memento mori=死を忘れるな、という意味。この本では「どうせ死ぬことになるんだから忘れれば済む、という意味」)と心の中で叫んだそうだ。

-それはすぐ通報すべきだったのでは? 知らないふりをしたり、目をつぶってやったり、暴力を容認したりしたことが、問題をいっそう大きくしたのでは?

「そうなんです。近しい人たちはみんな私にそう言いいました(笑)。しかも、牧師さんたちまで…」。しばらく言葉が途切れた。「それでも、その当時はもっと重要なことがあると思っていました。『私は母親だから、もう少し辛抱しなければならない』って。後になって気付いたんです。愛のない男と暮らしながら守ろうとした家庭は、砂の城よりも意味がなかったことに。そのすべてがただの虚像だったと」

宋恵真(ソン・ヘジン)記者
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