進化続けるトッポッキ、世界化も加速

進化続けるトッポッキ、世界化も加速

 スリムなボディーライン、魅惑的な赤、もっちりした感触、舌に突き刺さる甘辛さ-。この魅力的な姿をした物体の正体は、軽食の絶対王者「トッポッキ」だ。トッポッキとは甘辛く煮込んだ棒状の餅で、韓国の代表的なおやつの一つ。下校途中に友人たちとトッポッキを買い食いした思い出は、誰にでもあるはずだ。トッポッキは韓国人の知恵が詰まった餅と、科学的な発酵によってつくられる「ジャン(醤=しょうゆ・みそ・コチュジャンなど、韓国の伝統的な発酵調味料の総称)」の絶妙なハーモニーから生まれたメニューだ。「韓国人の代表的なおやつ」という修飾語にふさわしく、老若男女誰でもトッポッキの赤い魅力にどっぷりとはまっている。韓国ではこのところ、外食市場でトッポッキが目覚ましい勢いで成長しているだけでなく、料理自体の商品力も高まっている。

■王家の料理から庶民の代表的なおやつまで

 街の屋台の代表的メニューといわれるトッポッキは、朝鮮王朝時代には宮廷で食べられていた貴い料理だった。世宗4年(1422年)に全循義(チョン・スンイ)が料理による病気治療をテーマに編さんした『食料纂要(さんよう)』では、キジ肉を細かく裂いて小麦粉をまぶし、唐辛子、塩、ネギの白い部分と一緒に炒めてトッポッキをつくり、酢をつけて食べるものを「餅炙(ビョンジャ)」と表記している。1595年の『謙庵集』には、祭祀(さいし)用の料理としてトッポッキが並べられたとの記録がある。17世紀には宮中でトッポッキが食べられていたが、18世紀後半から19世紀初めに書かれた『是議全書』など複数の書物には、それぞれ異なるトッポッキの調理法が記されている。

 庶民が食べていたトッポッキは、初めは餅を油で炒めたものだった。1950年代からトッポッキが大衆に広まり、80年代に入ると餅入り鍋や煮物に似た現在のトッポッキが街の屋台の代表メニューとして普及した。

■赤いトッポッキが韓国中をとりこに

 壬申倭乱(じんしんわらん=文禄・慶長の役)以前は唐辛子がなかったため、しょうゆベースのトッポッキが主流だったとみられる。つまり、私たちが慣れ親しんでいる真っ赤なトッポッキの歴史は意外と浅いのだ。

 赤いトッポッキの歴史をたどってみると、ある人物に突き当たる。ソウル・新堂洞の故マ・ボクリム・ハルモニ(おばあさんの意)だ。トッポッキはそれまでしょうゆで炒めていたが、ふとしたきっかけでテンメンジャンとコチュジャンを混ぜた魔法のたれを開発し、1953年に新堂洞にトッポッキ店を開いた。70年代にガスが普及すると、即席トッポッキを開発し、誰でもすぐに作って食べられるトッポッキを提供した。これが、現在私たちが食べているトッポッキの元祖だといわれている。

 新堂洞トッポッキタウンは、1970年に複数のトッポッキ店が「マ・ボクリム・ハルモニのトッポッキ店」の周辺に集まって形成されたもので、MBCの番組が「新堂洞トッポッキ通り」と紹介したのを機に口コミで広まり、人々が集まるようになった。今でも多数のトッポッキ店が軒を連ね、当時の趣を受け継いでいる。

 トッポッキは現在、街の屋台や軽食店だけでなく、居酒屋やレストランなどさまざまな店で食べられる。子どもから白髪のお年寄りまで老若男女問わず気軽に楽しめる料理の一つで、韓国人の代表的な食べ物となって久しい。

文・写真提供= 月刊外食経営
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